名前を隠して楽しく日記。
直後に揺れたり震えたり~がくるんよ
それっぽいのとパクリは違うしなぁ。
一部の馬鹿が嫌がらせで任天堂に問い合わせ送りまくって黙認できない状況にさせたのも悪いんだろうけど、それにしても対処方法が愚策過ぎた
これはほんまにそう
じゃあ「プログラミングに置き換えて考える奴」がきみの思った通りに行動するようにする方法を教えてよ
ないんでしょ?
まず「プログラミングに置き換えて考える奴」はプログラミングという自分なりの方法論で行動するわけよね
なんでもいいの
人間が見て言葉にして情報のかたまりにしたものは人間むけに調整されてて人間が使うのに適してるのよ
「プログラミングに置き換えている」のは結果で、なぜ「置き換えるのか」は「自分が使うため」でしょ
誤認識があるとか余計な情報がそぎ落とされるとか必ずそうなるわけではないとかそんなのどうでもいいわけ
哲学で晩御飯のメニューを考えると誤りがあるとか社会学をつかって明日の待ち合わせ時間を考えても誤解が生じるとか医学で引き落とし残高を例えても大切な部分に見落としがあるとかどうでもいいわけ
その人がそれをつかって行動をすると、その人の満足度がどれだけあがるかってことが重要なわけ
童話に例えても理科の実験をイメージしても近所のおっさんの行動にあてはめてもおんなじ事なのよ
「正解の方法」は何なわけ?
否定するのは大得意でみんな「あれはダメこれもダメそれもダメ」というけどなにが正解なの?
すくなくともプログラミングに例えて考える人の行動方法として、その人がイメージした結果により高い精度で達成をできる方法はなんなの?
ないんでしょそんなアイデアは
そこまで言われたら実際の物理的な損害を発生させて被害者になるべく知恵をひねってなんとか否定というスタンスをまもりたくなるよね
「まちがった方法で情報を伝達されるとこっちがこまる」みたいな話にもっていってあくまでどこかに否定の必要性を探すとおもうけど
「間違いが存在する」って方向にもっていってまで否定する行動を容認させようとしてくると思うけど意味ないよ
誰が何をどう行動しようと自由なわけで、それを取り入れないという対応をとることも自由にできるんだから
そもそもきみの「まちがった方法で情報を伝達してきてるそれ」はどうなの
それはあってるの?
まちがってないの?
いいえ間違ってるでしょ
だって今まさに私と異なっている考えで違うと言われているのだから私と違っていてそんな情報私に聞かせなければこんな事言われずに済んだのになぜ私の見える所に書いて置いたのよ
って話をそのまんましてるわけ、だよね
こまりもしないし伝達なんて受け取らなければおわりな話
三つ目に間違ってしまっていることとして「目的がない」ということよ
いってみれば「否定して気持ちよくなりたい、否定できるという理解度の高さを褒めてほしい」という感覚なのだろうけど
否定をする、間違っているということを指摘するという事の根源的な根本的な、基本的な目的を考えてみてよ
「それをしない」という選択をしてほしいから、つまり「それ以外の方法をつかってほしい」からなのよね
なんのために?
「正解に、よりよい回答に、さらに希望したものに近い達成のために」でしょ?
それで、そのための手段を提示しないのは、どういう事になるかってわかる?
「よりよい結果への到達をしめさない」がゴールになるわけじゃん
つまり虚無、しないでおわる、ゼロという結果にたどりつけってアドバイスよね
前例として考察したり研究したり気を付けたりやり直したりできる材料としてのゴミですら残るんだから
なにも生み出さずにおわり
「なにも生み出さずに終われ」ってのが否定なわけ
なーんにもないよね
否定しかしない人ってほんと「なにもない自分」という事を否定って形でなにかしらいわなくていい事をわざわざ否定しにくることで自分の存在意義をつくろうとしていてアホだわ
他の人の成果を否定するケチをつけにくることで「なにかしらをひっつけにきた」という存在をつくろうとしていてご苦労様だわ
でもしょうがないよね
そういう成果を自分も残したいのになんにもないんだから、なんにもない宣言をつけにこないと、ほしいもんね成果
そういう判断基準で行動して、成果を出してそれを認められる人になりたかったんだよね
でもなれない自分をあきらめきれずに否定をすることで「それ自体になれた」気になりたかったんだよね
それと同等かそれ以上の実力があったら無視をするか気付いたりしないものだし
実力があるんだぞと無関係な人に無関係な成果を示したい時だから「実力があるというそぶり」を「無視してもよかったものをわざわざ無視した理由をつける否定という行動」を取って見せたかったんだよね
そんな実際につかえもしない実力があって、それを褒められてどうすんのよって感じはするけど
知っちゃたんだよね
そういう立場のかっこよさを
そうなりたかったんだよね
わざわざつくらなくてもいいディテールにまで凝っちゃってさ
ほんと否定ってだれでも簡単に、対象を包括する形で「それを排除することができる」に見えるから「同等の力量」と勘違いができるから、そういう実力者になりきる方法として安易に使われがちだよね
「マウントを取る」ってことばのしめすイメージのまんまで笑えちゃう
物理的に人の上にたてば、その人のすべて、内包する実力や人脈とか関係性とか功績をふくめて自分の下になったとか自分のものになったとか「自分が上になった」気がするんだよね
物理的に位置が上なだけになんの意味があるのって思うけど、功績や実力が自分のほうが上になった気がするんだよね
それしか娯楽がないのもいいけどさ
そういうからっぽな自分をさらけだすのが気持ちいいのもいいけどさ
こうやってかくしておいたエロ本がみつかるような残念なきもちになることもあるんだよ
自分がきもちよくなる方法ってのは、そんなおおっぴらにするようなものではないよ
していいものも多くあるけどさ
昔は中国などの激安生産国が作った品を、日本人が相対的に高い給料で買えたけど、今はその相対的な地位が低下してしまっている。
しかしこれは自然の摂理だと思う。奴隷貿易の時代でもなく、先進後進国の時代からも脱却しつつあるので、もはや一部の先進国が繁栄を享受する時代ではなくなったのだ。