名前を隠して楽しく日記。
GM〇の社長がリモートワーク廃止を宣言してから、リモートワークの是非が話題になっている。
私はとある事情から現在ほぼフルリモートで仕事をさせていただいている立場にある。
そんな私が言うのもなんだが、サラリーマンの場合基本的にリモートワークの効率が出社の効率を上回ることはないと考えている。
理由は、組織において最もコストがかかる仕事が「情報共有」だと考えているからだ。
ここでいいたいのは、リモートワークにメリットがないということではなく、リモートワークが出社の効率を上回ることは基本的にないということである。
論点として、リモートはサボるからダメだとか、リモートすれば通勤時間がなくなって効率が上がるとか、目標にコミットさえすればリモートでも出社でもなんでもいいとかあるけど、はっきり言って情報共有のコストという観点に比べれば些末であると思う。
あなたは、この文書を本当に最後まで飛ばさず読み切ることができるのか?
これはリモートワークでの情報共有の課題そのものと言えるので、反論したくなったらまずはしんどくても一度最後まで読んでいただきたいと思う。
読めなければ「まいった」と言ってくれ。
もちろん、出社>リモートワークを厳密に示すためには、テキストで意思疎通できないことをお見せするだけでは不十分である。対面でのコミュニケーションをした場合に意思疎通ができることを示す必要があるし、電話やオンライン会議という手法もあるわけだから双方向のコミュニケーションをリモートだから取れないわけでもないことは承知している。あくまで、意思疎通が不便にはなるという一例としてとらえていただきたい。
まだまだ前置きですよ。頑張ってね。
まず、情報共有という点で如何に出社が有利であるかをお伝えしたいと思う。
サラリーマンであるということは、組織で仕事をしているということになろう。つまりサラリーマンである限りはどうあがいても基本的にはチームプレーということになる。個人プレー重視の職場もあるだろうし、分業がうまくいっていて個人の守備範囲さえ守れれば良いという仕事もあるだろう。
こういう仕事は規模が小さかったり、細分化してタスクレベルに分解可能な成熟した仕事だったりすることが多いと思う。
何か抽象的な目標に向かってチームでカタチにする場合はそれ相応のコミュニケーションは間違いなく必要になってくる。
そして、そのコミュニケーションのコストは人数が増えるとn倍ではなくn^2倍で効いてくる。この辺りの詳しいロジックは割愛するが、人が増えれば増えるほどコミュニケーションのコストは爆発的に増えていく。
しかし、ITツールが発達した現代においては、出社しようがしまいがこの情報共有のコストは減らないのだからリモートでもいいんじゃないか?と考える人が多いと思う。
半分はその通りである。また、情報共有自体工夫されるし、マニュアル等を整備することも重要である。これらはリモートであれ、さほどコストは変わらない。
では、なぜ私はこんなことを言うのか。
それは、これら全てが能動的なコミュニケーションであるからだ。
自ら動いて情報を発信したりあるいは取りに行ったりすること、あるいは相手がこちらに伝えることを目的に発信してくる情報を能動的な情報とここでは呼ぼう。
一方、一切意識していなくともその場にいるだけで知ることができる情報を受動的な情報だと呼ぼう。
受動的な情報をどういう事かというと、例えば隣の人がトイレに行ってるとか、隣の部署がなんか炎上してそうとかそういうもんだ。
おっさんになって若者の流行についていけないという現象に心当たりはないだろうか。
これは、受動的な情報共有がなされないから発生していると考えられる。学生のうちは例え私のようなチー牛でも、教室にいれば何となく流行の事は情報が入ってくるもんだが、大人になるとそれがなくなる。
これと同じ事がリモートでも発生しているわけだ。
例えば、上司に相談したい場合話しかけてよさそうなのかどうか。ひと言チャット投げればそれまでと言えばそれまでだが、そういった細かいコストが積み重なるし、受動的な情報はなくても表面上困らないのでほぼ認識できない。故に、そのコストを削減することも困難である。なにせ、コストだと認識できないわけだから。
というわけで、この受動的な情報が欠落するリモートは明らかに不利だと言えよう。
そろそろ飽きてきたが、まだまだ頑張らねばならない。みんなも頑張ってくれ。
じゃあ、お前はなんでリモートワークをしているんだということになる。
詳細は伏せるが、大病を患い出社する体力がないためである。
出社して疲弊するより、在宅の方が圧倒的に成果が上がるのが現状である。
じゃあ、在宅勤務のメリットあるやんけ!
ということになる。それはその通りだし否定はしていない。しかし、俺に出社して普通に仕事をする体力があればよいだけの話だから、単純に俺が出社できない無能であると言える。
限定的な条件で相対的にリモートの方が成果が上がることはよくある事だけど、出社という能力が欠落しているとも考えられる。
あとは、私が特別優秀という意味ではないけど、少しだけスキルとしては珍しい(ひとつひとつは取るに足らないけど、広く浅くできる人は珍しい)ことや、健康だった時代があるので内情にもある程度精通してるので、在宅のままでも置いておくインセンティブが会社側にあるとも言える。
リモートをすることで解決する課題はあるが、それは限定的であるから、会社や組織を運営するにあたってそこを切り捨てるという判断は普通にあり得る。
本来は出社できればより効率的であるが、そもそもそのような能力が無い(家事や育児でというのも同じ事く能力が無いとみなす)ので致し方なくリモートを許容する事でメリットがあることはありうる。しかし、これは在宅が出社を上回るという意味ではない。
あとは、出社を前提としない組織運営をしている場合は当然出社の方が非効率的になることは当たり前の話である。
工場の人が出社しないといけないくらい当たり前の話である。リモートの方が効率がよい反論として機能していない。
また、リモートだとサボるという話もよくあるが、サボる人は普通に出社してもサボる。
むしろ、出社してれば勤務してる感が出てサボりやすいまである。
成果さえ出せればよいという考え方。これはその通りであるが、成果はゴールポストなので、ゴールポストをリモート環境に合わせて基本的にはずらすことになる。故に、リモート環境と出社環境で求められる成果が変わる。そして一般的に、リモートで出せる成果は出社でも出せるが、出社では出せるけどリモートでは出せない成果は山ほどある。
また、在宅の方が無駄におしゃべりしなくて良くて作業に集中できるという話もある。これも個人というマクロ視点ではそうであるが、結局出社している人間が話しかけられるだけである。また、そういった受動的な情報が価値を生む場合があるというのが私の主張である。
通勤時間や子育てなどはもはや効率とはかけ離れた福利厚生の領域。休みが多ければ沢山働けると言ってるのと変わらない。
在宅勤務を導入するメリットにはなりうるが、出社より効率的という話ではない。
これでだいたい網羅できただろうか。なんか足りない気がするけど面倒になったきたのでまとめるとする。
まとめると、リモートワークにはメリットがあるし、私もその恩恵を受ける一人である。
しかし、出社より効率的という話にはならない。個人レベルでは制約によって出社するよりリモートの方が効率的なことはありうるが、それは出社するという能力が欠落しているというのが私の主張である。
出社する能力が欠落している人間でも、特殊な能力があったり、マネジメントのコストよりリソースを確保するほうが総量として上回る場合はメリットは有る。ただ、出社の方がより効率的なだけのはなしである。
また、リモートワークのメリットで恩恵を受ける場合、多くは労働者視点であるのも注意が必要である。
管理者側のメリットに対して労働者側のメリットを提示しても効果はない。
給料が高い方がいいと言ってるだけなのと同じなので、交渉のテーブルにつけてない。
そして、管理者視点で効率的であるという主張には無理があるということが言いたいことである。
近年、「○○を過剰に消費・鑑賞するもの」という比喩としてポルノという言葉が使われるようになった。
だから性的なものでなくてもポルノという表現をする。例えば、「感動ポルノ」がそう。
古い辞書的には間違っているが、生きた言葉としては正しい。
それで何か上手く言い返した気になってるのが幼いよ
いるいる、そういう年寄りが知り合いに。こっちはまだ働き盛りで未来ある子供たちもいるのに、なんつー無神経で無責任なって思いながらも、流すようにしてる。虫の居所が悪いとつい「もうすぐ旅立つ人には関係ない話ですよね」って口に出そうになるけど、大人気ないので踏みとどまってる。
かるさりかんに
リベサヨがどれだけ高市を叩こうが、国産レアアースをスピード実用化してくれたおかげで日本企業が中国にペコペコしなくてよくなったという事実
大学入試の数学とか数学オリンピックの問題とかどんどん解いていけるなら数学の成績上がりそう。
自分の頭で考えてあげませんって言ってるじゃないですか。