2024年10月27日の衆院選で自民と公明両党の議席数が215と、定数465の過半数を割り込んだ。それが必ずしも政権交代を意味するわけではないが、政権の行方が不透明になった。建設業関係者の中には、今後の公共事業について不安に思う人が多いに違いない。
思い出されるのが、「コンクリートから人へ」を掲げ、09年9月から12年12月まで3年3カ月続いた民主党政権の時代だ。ここで、当時の民主党政権と公共事業について振り返ってみる。
「コンクリート」を生業(なりわい)とする建設業では、当時の政策に反感を覚える人は少なくない。一方、近年の自公政権では国土強靱(きょうじん)化を掲げ、公共事業に多くの予算を計上している。
ただ、民主党政権が公共事業縮小の元凶と考えるのは、あまりに表面的だ。民主党政権時代に多くの大型公共事業がストップしたことから、そのようなイメージを持つ人が多いのだろう。しかし、国の公共事業関係費の推移からは、違った様相がうかがえる。
当初予算と補正予算の合計額で見ると、公共事業関係費は1998年度をピークに2010年度まで、リーマン・ショック後の経済対策があった09年度を除き、ほぼ一貫して減り続けた。道路関係4公団の民営化などを進めた小泉純一郎内閣など、大部分は自公政権の時代に当たる。
その間、多くの建設会社が苦境に陥り、リストラを余儀なくされた。民主党政権における公共事業の縮小は、自公政権時代から続いていた「冬の時代」の末期に一部重なるに過ぎない。
民主党政権の後半になると、11年3月の東日本大震災を受け、その復旧・復興のために多額の補正予算が必要となった。公共事業の縮小を進められるような状況ではない。むしろ、民主党政権の時代に多くの大型公共事業が始まっている。
例えば、震災復興を目的に、三陸沿岸道路を10年程度で全線完成させる方針は民主党政権時代に決まった。小泉内閣の時代に建設が凍結された新名神高速道路の未着工区間について、事業再開が決まったのも民主党政権の時代だ。

