政治や経済、文化、スポーツなどの領域で大きな業績を残した人物が自らの半生を綴ります。日本経済新聞朝刊の最終面で1956年から続く名物コラムです。過去に掲載した「復刻版」も順次公開します。
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谷内正太郎 私の履歴書(18)自由と繁栄の弧連載中外交評論家と称する人たちから「日本には外交戦略がない」と言われると反発を感じていた。確かに、外交戦略があっても、戦後の外務省は内外に外交政策を発信することに積極的だったとは言い難い。
私自身は、日米関係は最も重視すべきであるが、「一本足打法」ではいけない、外交の地平を広げる必要があると入省時から思っていた。
アメリカでは湾岸戦争、対テロ戦争、イラク戦争という流れの中で、ユーラシア大陸の南の縁辺部…

谷内正太郎初代国家安全保障局長
長く日本外交の最前線に立った谷内正太郎さんは、外交・安全保障政策の司令塔となる国家安全保障局の初代局長を務めました。「影の外相」「伝説の外交官」とまで称されましたが、その素顔はエリート官僚とは異なります。メディアに出るのを極力避けてきた谷内さんの歩みから、「分断と対立と混迷の国際社会」で日本が生き抜く手掛かりが見えてくるかもしれません。
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(やち・しょうたろう)
最近の執筆者

大河原毅日本ケンタッキー・フライド・チキン元社長

鳳蘭俳優

片野坂真哉ANAホールディングス会長
政治や経済、文化、スポーツなどの領域で大きな業績を残した人物が自らの半生を綴ります。日本経済新聞朝刊の最終面で1956年から続く名物コラムです。過去に掲載した「復刻版」も順次公開します。
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今月の復刻版

田淵節也
野村証券の社長・会長を13年務め、同社を「ガリバー」と呼ばれるほど業界内で突出した強力な証券会社に育てました。証券マンとして戦後復興、高度成長、バブル経済の崩壊を経験しました。現場時代に長く担当したのが事業法人営業の仕事でした。主幹事証券として企業の時価発行増資やM&A(合併・買収)の支援を積極的に手がけ、銀行が支配していた日本の金融秩序に風穴を開けていきました。会長就任後の1987年にはトヨタ自動車を抜いて利益日本一を達成する一方、バブル崩壊後の証券不祥事では2度の引責辞任を経験し、浮き沈みの多い人生でした。

阿久悠作詞家・作家
「また逢う日まで」「北の宿から」「UFO」などヒット曲の作詞を手がけ、小説「瀬戸内少年野球団」でも知られます。広告代理店勤務を経て放送作家になり、1967年に作詞家デビューします。沢田研二さんをはじめピンク・レディー、森昌子さん、石川さゆりさんらアイドルポップスから演歌まで多くの歌手に歌詞を提供し、都市生活者の美意識や時代感覚を鋭くとらえた作品を5000曲以上も書き続け、昭和歌謡界に大きな足跡を残しました。
Pick Up

御手洗冨士夫キヤノン会長兼社長CEO
キヤノン会長兼社長CEOの御手洗冨士夫さんは同社を国内屈指の高収益企業に育て、経団連会長もつとめました。経済人として順風満帆のように思えますが、米国で23年間も現地法人の立ち上げに奔走しました。1995年に社長に就任すると、経営改革に追われました。石油危機からバブル崩壊、リーマン・ショック、デジタル革命まで幾多の窮地と対峙した悪戦苦闘の記録は再生と成長へのヒントになります。今も経営の最前線に立つ真意は何か。これからのキヤノンと日本に何を残すのか。経営者人生の総仕上げに向かうタイミングでつづります。

岡田武史元サッカー日本代表監督
岡田武史さんはサッカーの日本代表監督としてワールドカップ(W杯)に初めて導いた名将です。1997年フランス大会アジア予選の苦境のなかで監督に就いてヒーローになりますが、翌98年の本大会ではカズ(三浦知良)を外して物議を醸し、本番も3戦全敗して大バッシングを浴びました。当時、考えていたことが赤裸々に語られます。現在は愛媛のFC今治で経営者として奔走。「ホラ同然の夢を語りながら、常に命懸けの覚悟で取り組んできた」という熱い半生です。

村木厚子元厚生労働次官
役所の局長から、被告人へ――。元厚生労働次官の村木厚子さんは2009年、まったく身に覚えのない郵便不正事件で、大阪地検特捜部に逮捕・起訴されました。強引で巧妙な取り調べ、長引く勾留。後には検事による証拠改ざんまで判明しました。無罪が確定するまでの1年3カ月、どうやって心折れずに闘えたのでしょうか。人見知りだった高知の少女が、2人の子どもを育てながら働き続けてきた秘訣は?誰もが自分らしく暮らせる社会へ、いまも福祉などの分野で活躍する村木さん。刑事司法のあるべき姿についても提言を続けています。波乱の日々から紡ぎ出される言葉は、多くの人の心に響くヒントに満ちています。
特集
年代別の主な執筆者
1950年代

五島慶太東急会長
東急グループの事実上の創業者として、鉄道、不動産、デパート、ホテルなどを手がけました。その豪腕ぶりで「鉄道王」「強盗慶太」の異名をもちます。苦学のすえ東京帝国大学(のちの東京大学)を卒業して官僚になり、阪急の小林一三氏の紹介で武蔵電気鉄道に転じます。東京横浜電鉄、目黒蒲田電鉄を中心に、池上電気鉄道、玉川電気鉄道などを買収しながら、東京急行電鉄の鉄道網整備にまい進し、「地下鉄戦争」を経て渋谷~浅草間の直通運転を開始させました。渋谷や田園調布の開発事業、観光、文化、教育事業にも尽力しました。

江戸川乱歩探偵作家
会社員、新聞記者など仕事を転々として作家生活に入り、日本の探偵小説の草分けとして活躍しました。推理小説、怪奇小説、ミステリー小説のほか、自作解説、身辺雑記、書簡、対談、広告文など多作で、代表作に「明智小五郎シリーズ」や「怪人二十面相」などがあります。

出光佐三出光興産社長
出光興産の創業者で、軍といさかいが起きてもまったく引かず、業界のしがらみを無視して事業を拡大する姿から「海賊」とも呼ばれました。国際的な石油カルテルに対抗し、さまざまな苦難を乗り越えて最大の民族系石油会社を築きました。

堤康次郎前衆議院議長
故郷滋賀県選出の衆院議員を計13期務め、衆院議長に就きました。企業家としては現在の西武グループを創業し、東京・国立などの不動産開発にも尽力しました。

松下幸之助松下電器産業創業者
松下電器産業(パナソニックホールディングス)を一代で世界有数の電機メーカーに築き上げました。商品開発だけでなく、実物宣伝、保証付き販売、直販制など独創的な手法を編み出して「経営の神様」とよばれ、私財を投じてPHP研究所や松下政経塾を設立するなど社会活動にも多くの業績を残しました。

市川猿之助・初代猿翁歌舞伎俳優・芸術院会員
歌舞伎の二代目市川猿之助として長く務めたスター俳優で、のちに市川猿翁(初代)に改名しました。少年期は九代目市川團十郎(団十郎)や父初代市川猿之助の舞台で子役を務め、新劇やヨーロッパ演劇、イプセン作品などに触発されて近代演劇の一翼を担いました。中国公演やソ連(現ロシア)公演など海外公演も座頭として務め、歌舞伎の隆盛をけん引しました。
1960~1970年代

本田宗一郎本田技研工業社長
小さな町工場の自動車修理工から身をおこし、持ち前の自由奔放な発想と行動力で世界的な自動車メーカー「ホンダ」をつくり上げました。ソニーとともに戦後の日本経済の復興、急成長を象徴する代表的企業の経営者です。

井深大ソニー社長
学生時代から発明家として知られ、1946年に東京通信工業(ソニー)を興しました。テープレコーダー、トランジスタラジオなど日本初の家庭用電気製品を次々と商品化。独自の研究開発を重視、カラーテレビやVTR、CDプレーヤーなどを世に送り出しました。

鮎川義介中政連総裁
旧長州藩士で維新後に生まれ、元勲井上馨を大叔父(祖母の義弟)にもちます。東京帝国大学をでて芝浦製作所(のちの東芝)の工場従業員でスタートし、米国留学をへて戸畑鋳物(のちの日立金属、プロテリアル)を創設すると、義弟・久原房之助に託された久原鉱業を日本産業と改称し、日産コンツェルンを築きました。日立鉱山(日本鉱業、のちのJX金属)、日立製作所、日産自動車などのコングロマリットを形成し、満州事変以降の国策にも積極的協力。戦後は参院議員も務め、日本中小企業政治連盟(中政連)の運動をおこしました。

田中角栄自民党幹事長
第64、65代首相を務めた田中角栄氏は、自民党幹事長だった48歳で登場しました。連載6年後の1972年、首相に就任。「日本列島改造論」を掲げましたが、金脈問題で辞任すると、ロッキード事件で逮捕されました。新潟での生い立ちから28歳での衆院初当選までをつづります。

平塚らいてう日本婦人団体連合会名誉会長
「元始、女性は太陽であった」。1911年(明治44年)に日本初の「女ばかりで作った女の雑誌」という文芸誌「青鞜」を立ち上げると、自分たちの言葉で話し行動する「新しい女」を提示して支持を得ますが、激しいバッシングを浴びて5年で廃刊となります。大正デモクラシー期に婦人解放運動に取り組み、市川房枝氏らと女性参政権を求めて活動していきます。

井上靖作家
小説「天平の甍」「敦煌」「氷壁」などを執筆し、ノーベル文学賞候補になっていたほど国際的にも評価された作家です。代々医師の家に生まれましたが、京都大学哲学科を出て新聞記者になり、終戦を迎えます。その後は退職し、純文学や中間小説、新聞小説など幅広い分野で活躍しました。
1980~1990年代

土光敏夫経済団体連合会名誉会長
経団連会長として第一次石油ショック後の日本経済の立て直しに力を尽くし、行政改革にも辣腕をふるって「ミスター行革」の異名をとりました。石川島播磨重工業(IHI)社長のあと、会社再建の手腕を買われて東芝の社長に就任しました。質素な生活ぶりから「メザシの土光さん」として親しまれました。

佐治敬三サントリー会長
創業者・鳥井信治郎氏の二男です。斬新な広告手法でウイスキーの大衆化を進めたほか、ビール事業参入やウーロン茶販売も仕掛けて、日本を代表する総合飲料メーカーに育て上げました。美術館や音楽ホール建設など文化事業でも社会貢献しました。

マハティール・モハマドマレーシア首相
1981~2003年、18~20年と2度にわたってマレーシア首相を務めた、東南アジアを代表する政治家です。最初の首相時代には、日本を模範とする「ルック・イースト政策」を掲げました。
2000年代

椎名武雄日本IBM最高顧問
米国留学時にIBM本社を訪ねたことがきっかけで帰国後に入社すると、45歳の若さで社長に就任し、89年には米IBMの副社長に抜てきされました。オンラインの新聞製作システムを世界に先駆けて実用化し、外資系財界人の草分けとしても活躍しました。

樋口広太郎アサヒビール名誉会長
住友銀行(現三井住友銀行)の副頭取から業界3位だったアサヒビールの社長に転じ、翌年に発売した「スーパードライ」の大当たりに乗じて土俵際にあった会社を復活させました。社長在任6年で売上高を約3倍に成長させました。

稲盛和夫京セラ名誉会長
京都セラミック(京セラ)を設立し、組織を小集団に分けて収益の管理を徹底する「アメーバ経営」で世界的な企業に育てました。通信の自由化をにらみ第二電電(KDDI)も創業。請われて日本航空の経営再建にも尽力しました。「利他の心で判断する」という経営哲学でも知られています。

飯田亮セコム創業者
日本初の民間警備会社となる日本警備保障(現セコム)を62年、学生時代の友人である戸田寿一氏と一緒に設立しました。2年後の東京オリンピックでは選手村の警備を担い、日本に民間警備業が定着する契機となりました。

安藤百福日清食品会長
インスタントラーメンの生みの親です。世界初の「チキンラーメン」に続いて、容器入り「カップヌードル」を発売しました。「いいものは必ず売れる」と信じ赤貧に耐えながら即席めんを世に出した一徹な開発者であり、日清食品を育てた起業家でもありました。

ピーター・ドラッカー米クレアモント大学教授
20世紀を代表する「マネジメント(経営)の大家」です。新聞記者としてナチスのヒトラーやゲッベルスに何度も直接取材。ナチスの反感を買って英国に逃れ、のちに渡米しました。世界最大企業ゼネラル・モーターズ(GM)のコンサルタントを引き受けてビジネスの最前線を研究する異色の学者として知られています。

鈴木敏文セブン&アイ・ホールディングス会長
セブンイレブンの礎であるチェーン運営の仕組みを整えて「コンビニの父」とよばれています。セブン&アイを巨大流通グループに育て、決済専門銀行も設立。豊富な実態データをもとに消費を分析し、新サービスを次々と投入しました。

長嶋茂雄読売巨人軍終身名誉監督
「ミスタープロ野球」の異名で国民的人気を博しました。無類の勝負強さを誇り華麗な守備でもファンを魅了しました。高度経済成長期にプロ野球を国民的娯楽に押し上げ、社会の活力の象徴と見なされました。

川淵三郎日本サッカー協会会長
早稲田大在学中にサッカー日本代表となり、古河電工のサッカー部(のちのジェフユナイテッド市原・千葉)で活躍します。93年発足のJリーグ初代チェアマンとなり、地域密着型のクラブチームを定着させて日本のサッカーのレベル向上の立役者となりました。サッカーやバスケットボール各協会の会長、2021年東京五輪選手村村長も務めました。
2010年代

小澤征爾指揮者
ボストン交響楽団やウィーン国立歌劇場の音楽監督などを務め「世界のオザワ」と呼ばれた指揮者です。名指揮者のカラヤン氏に師事し、優れたコミュニケーションの力で若い奏者を導いたほか、指揮者・作曲家のバーンスタイン氏らクラシックの巨匠たちにも愛されました。

豊田章一郎トヨタ自動車名誉会長
トヨタ自動車創業者・豊田喜一郎さんの長男で、海外生産拠点を強化し世界トップクラスの自動車メーカーに育てました。

王貞治福岡ソフトバンクホークス会長
「ON」として長嶋茂雄さんと人気を分け合い、メジャー記録を上回る通算本塁打868本によって「世界の王」と称賛を集めました。ダイエー(ソフトバンク)ホークス監督就任によってパ・リーグを盛り上げ、プロ球界の地軸を動かしました。

似鳥昭雄ニトリホールディングス社長
落ちこぼれから日本トップの家具インテリアチェーンの経営者へ。次々と襲い来る困難やトラブルを度胸と愛嬌で乗り切った、ニトリホールディングス創業者による波瀾万丈の一代記です。

葛西敬之JR東海名誉会長
「国鉄改革3人組」と呼ばれて1987年の国鉄分割民営化を主導し、JR東海の社長や会長を歴任しました。東海道新幹線の品川駅開業を実現し、リニア中央新幹線計画も進めました。代表取締役を務めた期間は28年に及びます。

江夏豊元プロ野球投手
常勝・巨人と死闘を繰り広げた阪神での縦じまのエース時代から、広島での伝説の「江夏の21球」まで、野球ファンの記憶に残る名場面の数々を自らの言葉で、真摯に克明に振り返ります。

高田明ジャパネットたかた創業者
通信販売大手ジャパネットたかた創業者。長崎の片田舎の一介のカメラ店主から、わずか10年あまりで日本を代表する通販王国を一代で築き上げました。独特の甲高い声とぬくもりある九州弁、お茶の間の人気者のモットーは「今を生きる」です。

橋田壽賀子脚本家
「おしん」「渡る世間は鬼ばかり」などのテレビドラマで知られ、アジア諸国でも高い人気を博しました。辛口ホームドラマでありながら、その時々の時代背景を踏まえた綿密で壮大な社会派ドラマをつくり上げ続けました。

コシノジュンコファッションデザイナー
実力で勝負する「だんじり魂」を原動力に世界で活躍してきました。ただ、その人生は七転び八起き。時代の最先端を走る一方で詐欺事件に遭うなど試練もありました。涙あり、笑いありの「私の履歴書」です。
※肩書きは掲載当時のものです。カッコ内は、肩書きの記載がなかった連載などに補足したものです。