- 底本:浄土宗典刊行会 編『浄土宗全書』第9巻,浄土宗典刊行会,昭和3-9. 国立国会図書館デジタルコレクション:info:ndljp/pid/1226252/1/262 pp.505-510
- ここに収録する「七箇條の起請文」は和語灯録に収められた一文で、別名「念仏行者訓条」と呼ばれるものです。したがって元久元年(1204年)に書かれた「七箇條起請文」(別名、七箇条制戒)とは別の物です。
- 読みやすくするため、一部にルビの形でふりがなを付加しています。
七箇條起請文
をよそ往生淨土の人の要法は。おほしといへとも。淨土宗の大事は。三心の法門にある也。もし三心を具せさるものは。日夜十二時に。かうべの火をはらふがことくにすれとも。つひに往生をえすといへり。極樂をねがはん人は。いかにもして三心のやうを心えて念佛すへき也。三心といふは。一には至誠心。二には深心。三には廻向發願心なり。まづ至誠心といふは大師釋しての給はく。至といふは眞也。誠といふは實也といへり。たゞ眞實心を。至誠心と善導はおほせられたる也。眞實といふはもろ〳〵の虛假の心のなきをいふ也。虛假といふは。貪瞋等の煩惱ををこして。正念をうしなふを。虛假心と釋する也。すべてもろ〳〵の煩惱のをこる事は。みなもと貪瞋を母として出生するなり。貪といふにつゐて喜足小欲の貪あり。不喜足大欲の貪煩惱あり。いま淨土宗に制するところは。不喜足大欲の貪煩惱也。まづ行者かやうの道理を心えて念佛すへき也。これが眞實の念佛にてある也。喜足小欲の貪はくるしからず。瞋煩惱も敬上慈下の心をやふらずして。道理を心えんほと也。癡煩惱といふは。をろかなる心なり。此心をかしこくなすへき也。まづ生死をいとひ淨土をねかひて往生を大事といとなみてもろ〳〵の家業を事とせされは。癡煩惱なき也。少少の癡は往生のさはりにはならず。このほとに心えつれは。貪瞋等の虛假の心はうせて。眞實心はやすくおこる也。これを淨土の菩提心といふなり。詮するところ。生死の報をかろしめ。念佛の一行をはげむがゆへに眞實心とはいふ也。二に深心といふは。ふかく念佛を信する心なり。ふかく念佛を信すといふは。餘行なく一向に念佛になる也。もし餘行をかぬれは。深心かけたる行者といふ也。詮するところ。釋迦の淨土三部經はひとへに念佛の一行をとくと心え。彌陀の四十八願は。稱名の一行を本願とすと心えて。ふた心なく念佛するを。深心具足といふなり。三に廻向發願心といふは。無始よりこのかたの所作のもろ〳〵の善根を。ひとへに往生極樂といのる也。又つねに退する事なく念佛するを。廻向發願心といふなり。これは惠心の御義なり。此心ならは至誠心深心具足してのうへにつねに。念佛の數遍をなすへし。もし念佛退轉せは。廻向發願心かけたるもの也。淨土宗の人は。三心のやうをよく〳〵心えて念佛すべきなり。三心の中に。ひとつもかけなは往生はかなふまじき也。三心具足しぬれは往生は無下にやすくなるなり。すべてわれらが輪廻生死のふるまひは。たゞ貪瞋癡の煩惱の絆によりて也。貪瞋癡をこらは。なを惡趣へゆくへきまとひのをこりたるぞと意えて。是をとゞむへき也。しかれともいまだ煩惱具足のわれらなれは。かくは意えたれともつねに煩惱はをこる也。をこれとも煩惱をは心のまらう人とし念佛をは心のあるしとしつれは。あなかちに往生をはさへぬ也。煩惱を心のあるしとして念佛を心のまらう人とする事は。雑毒虛假の善にて往生にはきらはるゝなり。詮するところ。前念後念あひたには。煩惱をまじふといふとも。かまへて南無阿彌陀佛の六字の中に。貪等の煩惱ををこすまじき也
一 われは阿彌陀佛をこそたのみたれ。念佛をこそ信じたれとて。諸佛菩薩の悲願をかろしめたてまつり。法華般若等の。めてたき經ともを。わろくおもひそしる事はゆめ〳〵あるへからず。よろづのほとけたちを。そしり。もろ〳〵の聖教をうたかひそしりたらんずるつみは。まづ阿彌陀佛の御心にかなふまじければ。念佛すとも悲願にもれん事は一定也
一 つみをつくらじと身をつつしみてよからんとするは。阿彌陀ほとけの願をかろしむるにてこそあれ。又念佛をおほく申さんとて。日々に六萬遍などをくりゐたるは。他力をうたがふにてこそあれといふ事のおほくきこゆる。かやうのひが事ゆめ〳〵もちふへからずまづいづれのところにか。阿彌陀佛はつみつくれとすゝめ給ひける。ひとへにわが身に惡をもとゞめえず。つみのみつくりゐたるまゝに。かゝるゆくゑほとりもなき虛言をたくみいだして。物もしらぬ男女のともからを。すかしほからして。罪業をすゝめ。煩惱ををこさしむる事。返返天魔のたぐひなり。外道のしわざ也。往生極樂のあたかたきなりとおもふべし。又念佛のかすをおほく申すものを。自力をはげむといふ事。これ又ものもおほえずあさましきひが事也。たゞ一念二念をとなふとも。自力の心ならん人は。自力の念佛とすへし。千遍萬遍をとなふとも。百日千日よるひるはげみつとむとも。ひとへに願力をたのみ。他力をあふきたらん人の念佛は。聲々念々しかしなから他力の念佛にてあるへし。されは三心ををこしたる人の念佛は。日々夜々時々剋々にとなふれとも。しかしなから願力をあふき。他力をたのみたる心にてとなへゐたれは。かけてもふれても。自力の念佛とはいふへからす
一 三心と申すことをしりたる人の念佛に。三心具足してあらん事は左右にをよばず。つや〳〵三心の名をだにもしらぬ。無智のともからの念佛には。よも三心は具し候はじ。三心かけは往生し候なんやと申す事。きはめたる不審にて候へとも。これは阿彌陀ほとけの法藏菩薩のむかし五劫のあひた。よるひる心をくだきて案じたてゝ。成就せさせ給ひたる本願の三心なれば。あだ〳〵しくいふべき事にあらず。いかに無智ならん者もこれを具し。三心の名をしらぬものまても。かならすそらに具せんずる様を擇はせ給ひたる三心なれば。阿彌陀佛をたのみたてまつりて。すこしもうたかふ心なくして。この名號をとなふれは。あみたほとけかならずわれをむかへて。極樂にゆかせ給ふときゝて。これをふかく信して。すこしもうたかふ心なく。むかへさせ給へとおもひて念佛すれは。この心がすなはち三心具足の心にてあれば。たゞひらに信じてだにも念佛すれば。すゞろに三心はあるなり。さればこそよにあさましき一文不通のともからのなかに。ひとすちに念佛するものは。臨終正念にして。めてたき往生をするは。現に證據あらたなる事なれば。つゆちりもうたかふべからず。中〳〵よくもしらぬ三心沙汰して。あしさまに心えたる人〳〵は。臨終のわろくのみありあひたる。それにてたれ〳〵も心うへきなり
一 とき〳〵別時の念佛を修して。心をも身をもはげましととのへすすむへき也。日々に六萬遍を申せは七萬遍をとなふればとて。たゞ在もいはれたる事にてはあれとも。人の心さまは。いたく目もなれ。耳もなれぬれは。いそ〳〵とすゝむ心もなく。あけくれ心いそかしき様にてのみ。疎略になりゆく也。その心をためなをさん料に。時々別時の念佛はすへき也。しかれは善導和尙も。ねんころにすゝめ給ひ。惠心の往生要集にも。すゝめさせ給ひたる也。道場をもひきつくろひ。花香をもまいらせん事。ことにちからのたへむにしたかひてかざりまいらせて。わが身をもことにきよめて道場にいりて。あるひは三時あるひは六時などに念佛すべし。もし同行などあまたあらん時は。かはる〳〵いりて不斷念佛にも修すべし。かやうの事はをの〳〵ことがらにしたかひてはからふべし。さて善導のおほせられたるは。月の一日より八日にいたるまで。或は八日より十五日にいたるまで。或は十五日より廿三日にいたるまて。或は廿三日より晦日にいたるまでと。おほせられたり。をの〳〵さしあはざらん時をはからひて。七日の別時をつねに修すへし。ゆめ〳〵すゞろ事ともいふものにすかされて。不善の心あるべからず
一 いかにも〳〵最後の正念を成就して目には阿彌陀ほとけを見たてまつり。口には彌陀の名號をとなへ。心には聖衆の來迎をまちたてまつるへし。としころ日ころいみじく念佛の功をつみたりとも。臨終に惡緣にもあひ。あしき心もをこりぬるものならば順次の往生しはづして。一生二生なりとも。三生四生なりとも。生死のながれにしたがひてくるしからん事はくちをしき事ぞかし。されば善導和尙すゝめておほせられたる様は。願弟子等臨㆓命終㆒時乃至上㆓品往㆔生阿彌陀佛國㆒とあり。いよ〳〵臨終の正念はいのりもし。ねがふべき事也。臨終の正念をいのるは。彌陀の本願をたのまぬ者ぞなど申すは。善導には。いかほどまさりたる學生ぞとおもふべき也。あなあさましおそろし〳〵
一 念佛は。つねにおこたらぬが。一定往生する事にてある也。されば善導すゝめての給はく。一發心已後誓畢㆓此生㆒無㆑有㆓退轉㆒唯以㆓淨土㆒爲㆑期又云一心専念㆓彌陀名號㆒行住坐臥不㆑問㆓時節久近㆒念念不㆑捨者是名㆓正定之業㆒順㆓彼佛願㆒故といへり。かやうにすゝめまし〳〵たる事はあまたおほけれとも。こと〳〵くにかきのせす。たとむへし。あふぐへし。さらにうたがふべからず
一 げに〳〵しく念佛を行して。げに〳〵しき人になりぬれば。よろづの人を見るに。みなわが心にはをとりたり。あさましくわろければ。わが身のよきまゝには。ゆゝしき念佛者にてある物かな。たれ〳〵にもすぐれたりと思ふ也。この事をはよく〳〵意えてつゝしむべき也。世もひろし。人もおほければ。山の奥林の中にこもりゐて。人にもしられぬ念佛者の。貴くめてたき。さすがにおほくあるを。わがきかずしらぬにてこそあれ。されば。われほどの念佛者よもあらじと思ふはひが事也。大憍慢にてあれは。それをたよりにて。魔緣の付て。往生をさまたくる也。さればわが身のいみじくて。つみをも滅し極樂へもまいらばこそあらめ。ひとへに阿彌陀佛の願力にてこそ煩惱をも罪業をもほろぼしうしなひて。かたしけなく彌陀ほとけの。てつからみづからむかへとりて。極樂へかへらせましますことなれ。さればわがちからにて往生する事ならばこそわれかしこしといふ慢心をばをこさめ。若憍慢の心だにもをこりなば。たちところに阿彌陀ほとけの願にはそむきぬるものなれば。彌陀も諸佛も護念し給はすなりぬれば。悪魔のためにもなやまさるゝ也。返々も憍慢の心ををこすへからず。あなかしこ〳〵
- 〈七箇條の起請文 終わり〉
この著作物は、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。
Public domainPublic domainfalsefalse