1.FCザールブリュッケン
1.FCザールブリュッケン | ||||
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ファイル:1. FC Saarbrücken.svg | ||||
原語表記 | 1. Fußball-Club Saarbrücken e.V. | |||
クラブカラー |
青 黒 | |||
創設年 | 1903年 | |||
所属リーグ | 3. リーガ | |||
所属ディビジョン | 3部 | |||
ホームタウン | ザールブリュッケン | |||
ホームスタジアム |
ルートヴィヒスパルクシュタディオン | |||
収容人数 | 16,003 | |||
代表者 | ホルシュト・ヒンシュベルガー | |||
監督 | リュディガー・ツィール | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
1. FCザールブリュッケン(1. FC Saarbrücken)は、ドイツ・ザールブリュッケンに本拠地を置くサッカークラブ。1943年と1952年にドイツ・サッカー選手権で準優勝を収めたのが最高の記録。
歴史
[編集]第二次大戦前
[編集]1903年に トゥルンフェアアイン1876マールシュタット (Turnverein 1876 Malstatt) のサッカー部門として創設された。1907年にサッカー部門はFVマールシュタット・ブルバッハ (FV Malstatt-Burbach) として分離独立。1909年にFVザールブリュッケン (FV Saarbrücken) に改名。戦時中の1943年から1945年はSC07アルテンケッセル (SC 07 Altenkessel) と合併してクリークスシュピールゲマインシャフト・ザールブリュッケン (Kriegsspielgemeinschaft Saarbrücken) と改名したが、戦後に解散し、1.FCザールブリュッケンという名のクラブを新たに結成した。
第二次大戦後
[編集]大戦後、クラブがあるザール地方はフランス軍の占領下におかれた。1945-46シーズンから3シーズンはオーバーリーガ(1部相当)に所属。1948年はディヴィジョン・ドゥに参加。首位でシーズンを終えたものの、他チームの反対意見によりディヴィジョン・アンへの昇格、また翌年のリーグ参加は認められなかった(優勝は2位のRCランスとなっている)。1949年から2シーズンはフレンドリーマッチのみを戦った。
1951年よりドイツのサッカーリーグに復帰した。第1回のチャンピオンズカップ出場チームの1つ[1] 。ブンデスリーガ発足初年度に2部へ降格するも、1976年にブンデスリーガ1部に復帰。2シーズンで再び2部へ降格、1981年には3部に降格した。
80年代後半より好成績を重ね、1986年と1993年はブンデスリーガ1部に在籍するも、それぞれ1シーズンで再び2部へと降格した。
2部時代の1995年に経営危機が発覚すると、ブンデスリーガ参加権を剥奪され、レギオナルリーガ(3部相当)へ降格となった。以後は昇格と降格を繰り返すエレベータークラブとなり、2008年にはオーバーリーガ(5部相当)にまで降格した。
2020年、4部リーグに所属するチームとして初めてDFBポカールベスト4入りを果たした。[2]
2023シーズンは3部に所属し、DFBポカールでバイエルン・ミュンヘンを下す大金星を挙げると[3]、続くラウンド16ではフランクフルト、[4]準々決勝でボルシアMGに勝利しベスト4という成績を再び残した。[5]
タイトル
[編集]国内タイトル
[編集]- ブンデスリーガ2部:1回
- 1991-92 (南地区)
国際タイトル
[編集]- なし
過去の成績
[編集]シーズン | ディビジョン | DFBポカール | ||||||||
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リーグ | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | 順位 | ||
2009-10 | レギオナルリーガ・西部 | 34 | 20 | 9 | 5 | 53 | 33 | 69 | 1位 | |
2010-11 | ブンデスリーガ3部 | 38 | 17 | 8 | 13 | 61 | 51 | 59 | 6位 | |
2011-12 | ブンデスリーガ3部 | 38 | 13 | 15 | 10 | 61 | 51 | 54 | 10位 | 1回戦敗退 |
2012-13 | ブンデスリーガ3部 | 38 | 12 | 9 | 17 | 52 | 62 | 45 | 11位 | 1回戦敗退 |
2013-14 | ブンデスリーガ3部 | 38 | 8 | 8 | 22 | 38 | 63 | 32 | 20位 | ベスト16 |
2014-15 | レギオナルリーガ・南西部 | 34 | 21 | 6 | 7 | 51 | 27 | 69 | 2位 | |
2015-16 | レギオナルリーガ・南西部 | 34 | 15 | 9 | 10 | 48 | 36 | 54 | 7位 | |
2016-17 | レギオナルリーガ・南西部 | 36 | 21 | 6 | 9 | 61 | 42 | 69 | 3位 | |
2017-18 | レギオナルリーガ・南西部 | 36 | 25 | 7 | 4 | 92 | 32 | 82 | 1位 | 1回戦敗退 |
2018-19 | レギオナルリーガ・南西部 | 34 | 20 | 7 | 7 | 77 | 35 | 67 | 2位 | |
2019-20 | レギオナルリーガ・南西部 | 23 | 18 | 1 | 4 | 52 | 18 | 55 | 1位 | 準決勝敗退 |
2020-21 | ブンデスリーガ3部 | 38 | 16 | 11 | 11 | 66 | 51 | 59 | 5位 | |
2021-22 | ブンデスリーガ3部 | 36 | 14 | 11 | 11 | 50 | 44 | 53 | 7位 | |
2022-23 | ブンデスリーガ3部 | 38 | 位 |
歴代監督
[編集]- ルートヴィヒ・トレッター 1936.7-1937.6
- アウグスト・ヨルダン 1950.7-1953.6
- ラドスラフ・モミルスキ 1953.5-10
- ヘルムート・シェーン (暫定) 1953.10-1954.6
- ハンス・タウヒェルト 1954.7-1956.6
- ハンス・ピルツ 1956.7-1959.2
- フレッド・ペルケ 1959.3-6, 1967.7-12
- イェヌー・チャクナーディ 1959.7-1961.6
- ヘルムート・ヨハンセン 1961.7-1963.6
- ヘルムート・シュナイダー 1963.7-1965.1
- ウィリー・マッチョ 1964.7-1965.6
- ユップ・デアヴァル 1965.1-6
- ベルント・オレス 1965.7-1967.6
- ミラン・ニコリッチ 1967.12-1970.12
- オットー・レーハーゲル 1972.7-1973.6
- ハーバート・ビンケルト 1973.7-1975.6
- スロボダン・チェンディッチ 1974.7-1976.10, 1978.11-1980.10
- ベルント・シュテーバー (暫定) 1976.10
- マンフレート・クラフト 1976.10-1978.2
歴代所属選手
[編集]- フェリックス・マガト 1974-1976
- ジュリアン・デ・グズマン 2000-2002
- 鈴木伸貴 2002-2005
- ムスタファ・ハッジ 2005-2007
- 石原卓 2014
脚注
[編集]- ^ https://www.uefa.com/uefachampionsleague/history/clubs/65170--saarbrucken/
- ^ “Erstmals steht ein Viertligist im DFB-Pokal-Halbfinale”. Fussball (2020年3月3日). 2024年3月13日閲覧。
- ^ “衝撃の敗退劇…バイエルン、DFBポカール2回戦で3部相手にまさかの逆転負け | Goal.com 日本”. www.goal.com (2023年11月1日). 2023年11月2日閲覧。
- ^ “格下に敗戦のフランクフルト、先発の長谷部誠に現地メディア「定期的にプレーしているかのようにプレーしていた」”. Goal.com (2023年12月7日). 2024年3月13日閲覧。
- ^ “Pokalsensation: Saarbrücken zieht gegen Gladbach ins DFB-Pokal-Halbfinale”. tagesschau (2024年3月12日). 2024年3月13日閲覧。
外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- 1.FCザールブリュッケン (ERSTERFCS) - Facebook
- 1.FCザールブリュッケン (@ERSTERFCS) - X(旧Twitter)
- 1.FCザールブリュッケン (@ersterfcs) - Instagram
- 1.FCザールブリュッケン - YouTubeチャンネル