郡司篤晃
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ぐんじ あつあき 郡司 篤晃 | |
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生誕 |
1937年7月16日 茨城県水戸市 |
死没 | 2015年9月17日(78歳没) |
国籍 | 日本 |
研究分野 | 医学 |
研究機関 |
聖学院大学 東京大学 厚生省 国立公衆衛生院 東京女子医科大学 |
出身校 | 東京大学 |
プロジェクト:人物伝 |
郡司 篤晃(ぐんじ あつあき、1937年7月16日[1] - 2015年9月17日[2])は、日本の医学者、厚生技官。学位は、医学博士(東京大学)。
経歴
[編集]茨城県水戸市出身。1965年、東京大学医学部卒業[3]。1970年には「The quantitative dental health care planning by means of stochastic model(確率モデルを用いたう蝕管理計画)」で医学博士号を取得。
1970年より東京女子医科大学日本心臓血圧研究所助手、講師、助教授を経て、1975年に厚生省入省[3]。医務局総務課課長補佐、環境庁出向、鹿児島県衛生部長を得て1982年より2年間、薬務局生物製剤課長を務める[2]。
1983年には、アメリカ合衆国におけるエイズの流行を受け、帝京大学教授の安部英を班長とするエイズ研究班を組織。その後、多数の血友病患者がエイズに感染したことにより安部とともに責任を問われた。1996年には証人喚問に臨むこととなった[4]。
→「薬害エイズ事件」も参照
保健医療局健康増進栄養課長を経て、1985年から東京大学医学部保健学科保健管理学教室教授。1998年から2014年まで聖学院大学大学院教授[3]。
著作
[編集]単著
[編集]- 『保健学講座』メヂカルフレンド社、1994
- 『安全という幻想:エイズ騒動から学ぶ』聖学院大学出版会、2015
共著
[編集]- 江部充、緒方剛、山田里津『医学概論(臨床工学シリーズ)』コロナ社、2002
脚注
[編集]- ^ 『現代物故者事典2015~2017』(日外アソシエーツ、2018年)p.221
- ^ a b c “元東大教授の郡司篤晃氏が死去 厚生省でエイズ研究班設置”. 千葉日報. (2015年9月17日). オリジナルの2022年6月17日時点におけるアーカイブ。 2022年6月17日閲覧。
- ^ a b c “安全という幻想 : エイズ騒動から学ぶ”. 聖学院大学出版会. 2022年6月17日閲覧。
- ^ 浅井文和 (2015年12月30日). “エイズ報道を改めて問う”. 朝日新聞 2022年6月17日閲覧。
外部リンク
[編集]- 【書評】医療ジャーナリスト・田辺功が読む『安全という幻想 エイズ騒動から学ぶ』 - 田辺功、産経新聞