森川俊孝
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 延享10年11月27日(1744年12月30日) |
死没 | 天明8年6月28日(1788年7月31日) |
改名 | 半弥(幼名)、俊孝 |
別名 | 大之丞 |
戒名 | 泰崇院貫元隆道 |
墓所 | 千葉県千葉市中央区の重俊院 |
官位 | 従五位下、紀伊守 |
幕府 | 江戸幕府 大番頭・奏者番 |
藩 | 下総生実藩主 |
氏族 | 森川氏 |
父母 | 父:森川俊令、母:森川俊常の長女・以智 |
兄弟 | 俊孝、俊輝 |
妻 | 正室:酒井忠用の娘・陽 |
子 | 俊盛、養子:俊知 |
森川 俊孝(もりかわ としたか)は、下総生実藩の第7代藩主。
延享元年(1744年)11月27日、第6代藩主・森川俊令の長男として江戸藩邸で生まれる。宝暦7年(1757年)12月18日、従五位下・紀伊守に叙位・任官する。宝暦9年(1759年)12月26日に元服する。宝暦14年(1764年)4月6日、父の隠居で家督を継いだ。
明和3年(1766年)に大坂加番に任じられ、明和5年(1768年)に日光祭祀奉行に任じられる。明和9年(1772年)6月11日に大番頭に任じられ、江戸城や二条城、大坂城などの城番も務めた。天明8年(1788年)3月22日に奏者番に任じられる。しかし直後の6月28日に死去した。享年45。
嫡子の俊盛は俊孝が死ぬ22日前に急死したため、養子の俊知が跡を継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 陽 ー 酒井忠用の娘
子女
- 森川俊盛(長男)
養子