チャック・コナーズ
引退 | |
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ポジション | センター |
基本情報 | |
英語 | Kevin Joseph Aloysius Connors |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1921年4月10日 |
没年月日 | 1992年11月10日(71歳没) |
出身地 | ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区 |
身長(現役時) | 197cm (6 ft 6 in) |
体重(現役時) | 86kg (190 lb) |
選手経歴 | |
1946-1948 | ボストン・セルティックス |
Stats Basketball-Reference.com | |
1950年頃 | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区 |
生年月日 | 1921年4月10日 |
没年月日 | 1992年11月10日(71歳没) |
身長 体重 |
6' 5" =約195.6 cm 190 lb =約86.2 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 一塁手 |
プロ入り | 1940年 |
初出場 | 1949年5月1日 |
最終出場 | 1951年9月30日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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チャック・コナーズ Chuck Connors | |
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1962年宣材写真 | |
本名 | Kevin Joseph Aloysius Connors |
生年月日 | 1921年4月10日 |
没年月日 | 1992年11月10日(71歳没) |
出生地 | ニューヨーク |
国籍 | アメリカ合衆国 |
ケビン・ジョセフ・アロイジアス・コナーズ(Chuck Connors, 本名: Kevin Joseph Aloysius Connors, 1921年4月10日 - 1992年11月10日)はアメリカ合衆国の俳優、作家、そして野球とバスケットボールのプロ選手である。身長は6フィート5インチ(約197cm)。
[1]
来歴
[編集]ニューヨーク市ブルックリン区生まれ。本名のケビンという名を好まず、「レフティ」や「ストレッチ」にしようとも考えていたが、野球選手時代に、一塁にいたコナーズが投手に「ボールをこっちに投げろよ」(Chuck it to me)と叫んだことから、他の選手やファンがこれはうってつけだと考え、この一塁手の名前はチャックとなった。
スポーツ選手としての才能があり、奨学金を得て、私立のアデルフィ・アカデミーに通い、1939年にそこを卒業すると、ニュージャージー州サウスオレンジにあるシートン・ホール大学に進んだ。しかし大学には2年しか在籍しなかった。第二次大戦中の1942年に召集され、戦争が終わるまでの殆どを、ケンタッキー州フォートノックスのキャンベル陸軍基地、及びニューヨークのウエストポイントで、戦車整備の任務について過ごした。軍属であるにもかかわらず、コナーズはプロの野球選手としてプレイもしていた。1946年に復員してからは、BAA(現NBA)が新設した、プロバスケットボールチームのボストン・セルティックスでプレイし、春になるとMLBのブルックリン・ドジャースのキャンプに参加した。様々なマイナーリーグでの経験ののち1949年にドジャース入りしたが、1試合しか出場機会がなかった。1951年にシカゴ・カブスに入り、66試合に一塁手もしくは代打として出場した。1952年には再びマイナーリーグ行きとなり、カブスのトップファームであるロサンゼルス・エンゼルスでプレイした。シカゴ・ベアーズにも在籍したが、こことは反りが合わなかった。アメリカのプロスポーツ史上、MLBとNBAの両方でプレイしたのは、コナーズを含めてわずかに12名である。
プロスポーツで身を立てるのが難しいと判断したコナーズは、俳優の道を目指すことにした。ハリウッドの近くで選手生活を送っていたこともあり、MGMの演出家の目に留まって、1952年にキャサリン・ヘプバーン主演の映画Pat and Mikeに出演。翌53年にはSouth Sea Womanでバート・ランカスターとも共演した。多くの映画やTVドラマに出演したが、中でも1958年に米ABCで放送開始された『ライフルマン』では銃の達人にして子どもを育てる男やもめを演じ、代表作となった。その後は、似たような役を振られることが多くなり、短期間のシリーズものにも出演するようになった。NBCが1965年から1966年にかけて放送した、南北戦争後の世界を描いた『荒野の流れ者』、『アフリカ大牧場』や『ルーツ』などである。また、映画『フリッパー』にも出演した。1991年に、オクラホマシティにある西部劇俳優の殿堂に名を連ねた。
1992年、肺癌による肺炎のため、71歳で死去。愛煙家であったと言われる[1][2]。
エピソード
[編集]- 1970年代に、NBCの野球中継で失態を晒し、悪い意味で有名になったことがある。著名人を解説者に呼ぶので有名なこの中継の全国ネットで、コナーズはうっかり「ファック」と口にして、実況担当者や視聴者を驚かせた。
- ゴルフ、読書、水泳、釣り、詩を書くこと、野球などと幅広い趣味を持ち、慈善事業や政治活動にもいそしんでいた。共和党の支持者で、リチャード・ニクソン元大統領とも交流があった。[1]
- 日本のプロ野球選手で巨人、西鉄、ヤクルトで活躍した船田和英は渾名として「ライフルマン」(入団した当時に放映されていたドラマで、主人公のルーカス・マッケインを演じていた頃のコナーズに似ていた為)と呼ばれていたが、奇しくも船田はコナーズが亡くなる半年前の1992年5月28日に病で他界している。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1949 | BRO | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | 0 | -- | 0 | -- | 0 | 0 | 1 | .000 | .000 | .000 | .000 |
1951 | CHC | 66 | 214 | 201 | 16 | 48 | 5 | 1 | 2 | 61 | 18 | 4 | 0 | 1 | -- | 12 | -- | 0 | 25 | 0 | .239 | .282 | .303 | .585 |
MLB:2年 | 67 | 215 | 202 | 16 | 48 | 5 | 1 | 2 | 61 | 18 | 4 | *0 | 1 | -- | 12 | -- | 0 | 25 | 1 | .238 | .280 | .302 | .582 |
- 「-」は記録なし
- 通算成績の「*数字」は不明年度がある事を示す
NBA通算成績
[編集]レギュラーシーズン (2シーズン) | |||
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53試合総計 | ゲーム平均 | ||
ポイント数 | 239 | 4.5 | |
アシスト数 | 41 | 0.8 |
主な出演作品
[編集]- Pat and Mike (1952)
- South Sea Woman (1953)
- やさしい狼犬部隊
- 大いなる西部(1958)
- ライフルマン(1958-1963)
- 酋長ジェロニモ(1962年)
- 女房は生きていた(1963)
- Flipper (1963)
- Ride Beyond Vengeance (1966)
- アフリカ大牧場(1967-1968)
- 七人の特命隊(1968)
- ネモ船長と海底都市(1969)
- 地平線から来た男(1971)
- マッドボンバー(1972)
- ソイレント・グリーン(1973)
- 殺し屋ハリー/華麗なる挑戦(1974)
- ルーツ (1977)
- デビルズ・ゾーン (1979)
- 復活の日(1980) :日本映画
- フライングハイ2/危険がいっぱい月への旅(1982)
- スキンヘッド・ウォリアーズ(1989)・・・日本劇場公開が予定されていたが、諸事情で公開中止
- ザ・ギャンブラー (テレビ映画)(1991)
- サーモンベリーズ(1991)