吉田浩一郎『世界の働き方を変えよう』(総合法令出版)第二章より抜粋
私のIT体験
ここで私自身のIT体験について少しお話ししておく。
バーチャルな世界の人間関係を信じていなかったという割には、初めてパソコンに触れたのは早かった。1984年、10歳の頃だ。
前にもお話ししたとおり、父が子どもに悪影響を与えると考えられるものはなるべく禁止という人だったので、私が小学生だった当時に大流行したファミコンは買ってもらえなかった。だが、なぜかパソコンは買ってもらった。あの頃は最先端のMSX規格のパソコンである。ゲームソフトはあまり買ってもらえなかったが、自分でプログラムを組んでゲームを作ることは許可されていた。忍耐力に欠けていたせいか、プログラムを正確に打ち込むということがなかなかできなかったが、プログラミングによってキャラクターが動いたりゲームを作ったりする楽しさを通して、コンピュータプログラムの基礎的な考えは10代前半ですでに理解していた。
しかしその後、演劇の道に入ってからは、むしろコンピュータを自分から遠ざけていたので、インターネットが始まった頃は、まったく理解ができなかった。
演劇をやっている人種というのは概してそうなのだが、"生"の感覚というのを大切にするために、インターネットをなるべく避けようとする傾向がある。今のこの時代でも、インターネットは一切やらないという人が少なからずいるのだ。
一方で、なるべく人には会わず、もっぱらインターネット上でだけ交流するという人もまた、世の中には一定の数だけ存在している。
そこへいくと、私の場合はリアルとバーチャル、どちらにも同じくらい親しんでいるので、ちょうど2つの世界の中間にいるように感じている。そうした意味では、いま、世界はざっくり3つの集団に分かれているのではないか。1つはリアルな人間関係だけを信じる人たち。また1つはバーチャルな人間関係だけを信じる人たち。残る1つは、リアルとバーチャルのどちらの人間関係も信じる人たち。三者三様、それぞれにイデオロギーがあるような気がしている。
『世界の働き方を変えよう』
著者= 吉田浩一郎
総合法令出版/1,470円(税込み)
◎内容紹介◎
「最短15分で仕事のマッチングが可能に」「最年長ユーザーは85歳」「会員登録は世界135カ国」「フリーランスにも正社員と同じ福利厚生を提供」 等々、「時間と場所を選ばない新しい働き方」を実現するための様々な斬新な取り組みを打ち出している株式会社クラウドワークス。
本書は、前半でもともとは役者志望だった創業者・吉田浩一郎氏が様々な紆余曲折と挫折を経て、クラウドワークス創業1年余でクラウドソーシング業界トップに躍り出るまでの経緯と秘訣を明らかにし、後半で世界的に勃興するクラウドソーシングビジネスの最新事情と、多様化する21世紀のワークスタイルの中で、ビジネスパーソンがどのように仕事と向き合っていくかを提言。巻末にライフネット生命保険社長・岩瀬大輔氏との特別対談を収録。
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ドリコム内藤社長と出会い、転職を決意する
話を元に戻そう。私が、インターネットで何か新しいことをできないかと考えていたとき、GREEのオフ会に参加する機会があった。2004年の夏の終わり頃だ。そこで友人に紹介されたのが、ドリコム代表取締役の内藤裕紀さんだった。もちろん私はそこでも、アタッカーズ・ビジネススクール同様、「営業の達人」というキャッチフレーズと、ブログのURLが入った名刺を渡した。
内藤さんは家に帰ってから、私のブログを見てくれたそうだ。そして、「すぐに会いましょう」と連絡をくれた。私自身も石積社長の教えやリードでの多数の経営者との面談を通して成功する経営者の傾向について勉強する中で、内藤さんの笑顔やポジティブな発言を見ていて、「この人は必ず成功する」と確信を持っていたので即座に応じた。
彼が京都大学在学中に、株式会社ドリコムの前身となる学生団体ドリコムを立ち上げたのは有名な話だが、京都でシルバーアクセサリーの露店商に弟子入りしたというのはあまり知られていない。彼にとっては最初のビジネス体験だったそうだ。師匠からはアクセサリーをいくつか無造作に渡されて、「これを明日1日で売り切ってきたら、弟子入りさせてやる」と言われたという。
さて、こいつを路上でどうやって売ろうか。内藤さんは、そこで考えた。そして、雑貨店できれいな布を買ってきて、それを敷き、高級感を醸し出すようにアクセサリーを並べたらたちまち売れ始めた。そんな"モノ売りの原点"的な思考錯誤が、彼のビジネスの原体験なのである。
そんな内藤さんだからこそ、私のブログに綴られた言葉が響いたようだ。「僕は株式公開を目指しているんですが、うちの組織には今、エンジニアしかいない。営業が必要なんです」と彼は私に言った。私はと言えば、会社の立ち上げ、経営を経験したかった訳だから、この出会いこそ願ったりかなったりのチャンスだった。「僕は営業しかできないんですが、上場を目指したいです」と答えた。そんなふうに2人は意気投合し、私はドリコムの執行役員として入社することが決まったのだ。
そのときには、リードで私が担当していた燃料電池の展示会当日がすぐそこに迫っていた。リード側と話し合った結果、私の退社は、展示会の成功をきっちり見届けてからということに決まった。1年半の準備を経て、燃料電池の展示会は初回から世界20ヵ国の企業が参加して大盛況となり、最終日にリードの同僚にこれまでお世話になった挨拶をして、「これから私はITベンチャーにチャレンジします」と自分の決意を述べた。そして翌日付で4年半勤めたリードエグジビションジャパンを退社した。
「Web2.0」の波が押し寄せる
ドリコムは、もともと2000年6月に学生団体として創立され、2001年11月に有限会社として設立、2003年3月には株式会社となっている。現在は、モバイルやPCのエンターテイメント・コンテンツの企画・提供、マーケティングソリューションの開発・提供を行う企業だが、私が入社した当時はブログシステムの開発・提供を中心に事業を展開していた。本社はまだ京都にあり、私がメンバーとなった東京支社は開設間もない時期で社員が2~3名ほどしかいなかった。
ちょうど2004年から2005年にかけては、「Web2.0」がITビジネスのキーワードになり始めた頃だった。「2.0」とは一般的には"大幅バージョンアップ"を指す。「Web2.0」とは、従来とは異なる進化したWebの技術や利用法を漠然と指していて、言葉自体に決まった定義があるわけではないが、確かにWebの使い方はこの頃から大きく変わっていった。
情報がニュースサイトやウェブメディアなどを所有する限定された企業からの一方的な発信だったWeb1.0から、ブログを皮切りに誰もが情報を発信し、また誰もがそれを受けられるWeb2.0へと移行したのがちょうどこの頃からだ。多くの人がサイトに参加し、情報を発信することで、情報が蓄積されて新しい価値が生み出される。するとその価値を求めてさらにユーザーが集まってきて、Web上に新しいコミュニティが形成される。
ここまでSNSが普及した現在では、Web2.0に言及するのは今さらの感が強いが、当時としては画期的な概念だった。だからこそドリコムでは、ブログシステムの開発により企業のECサイトや店舗の予約サイトに付随する口コミサイトを併設して、ユーザーがサイトを自由に行き来し、好きなことを発信できるようにして、Webサイトの意味やあり方そのものを変えようとしていた。それによってサイト自体が人の集まる場となり、飛躍的に活性化させられる。単なるシステム開発ではなく、まさしくその先にある人と人とのコミュニケーションデザインである。
第5回へ続く
1974年兵庫県神戸市生まれ。東京学芸大学卒業後、パイオニア、リードエグジビションジャパンなどを経て、ドリコム執行役員として東証マザーズ上場を経験した後に独立。ベトナムへ事業展開し、日本とベトナムを行き来する中で、インターネットを活用した時間と場所にこだわらない働き方に着目、2011年11月株式会社クラウドワークスを創業する。日本初の本格的なクラウドソーシング(ウェブ上の仕事マッチング)サービスとして急成長中、サービス開始約1年半で登録された仕事の予算総額は40億円を突破、上場企業をはじめとして1万5000以上の事業者が活用し、クラウドソーシング業界最大手に急成長。日経ビジネスの「日本を救う次世代ベンチャー100」に選出されたほか、大手企業との提携や11億円という大型資金調達など、現在最も注目されるベンチャー起業家の一人。http://crowdworks.jp/
著者: 吉田浩一郎
『世界の働き方を変えよう』
(総合法令出版、税込み1,470円)
「時間と場所を選ばない新しい働き方」を実現するための様々な斬新な取り組みを打ち出している株式会社クラウドワークス。創業1年半で日本のクラウドソーシング業界のトップランナーに躍り出た著者の挫折と再起、そして挑戦の記録!
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