歴史を変えたのは「魔女」か「女神」か? 知られざる女性ヒーローたちを掘り起こす! 2023年5月17日、歴史小説家の黒澤はゆまさんの新著『世界史の中のヤバい女たち』(新潮社)が発売された。 歴史を変えたのは「魔女」? それとも「女神」? 世に男のヒーローの話は数多く語られ、出版もされているが、女のヒーローの話はまだまだ数が少なく、あっても善良さや自己犠牲ばかり強調されている「女神」的なキャラクターであることが多い。 男の子には残酷な世界でサバイブするための同性のモデルがたくさんいるのに、女の子にはそれがないのは不公平かもしれない。世の中にこれから出て行く女の子、もう出てしまった女の子たちに、同性のヒーローたちのこと、それもジェンダーの色眼鏡から自由な姿を持つ、「魔女」たちのことを知ってほしい――。 本書は、黒澤さんのそんな想いから生まれた。長い人類の歴史の中で、強い男はヒーローと呼ばれ、強
本人談によると、シュローダー下院議員の大統領候補選挙での演説をCNNで見て「インスピレーションに打たれ」たから。 女であことを捨てず、しかし女であることに甘えることなく、仕事をこなしていく素敵な人、というのが私が受けた最初の印象でした。 この人のそばに行きたい。 インスピレーションに打たれるとすぐに行動せずにはおれない私は、すぐさま履歴書付の手紙を送ったり、ファックスしたり、電報を打ったり、とあらゆる手段をとりました。その結果、二週間後にはアメリカに向かい、三カ月後には日本人では初の米連邦議会のコングレッショナル・フェロー(立法調査官)として、パット(パトリシア・シュローダー議員のこと)の事務所で働いていました。 『アズ・ア・タックスペイヤー』p.14一方、シュローダー議員が自分を受け入れた(「雇った」ではない)理由は不明だとしていた。 対日強硬派議員であるパットにすれば「敵国」日本の出身
sonar21.com ラリー・ジョンソン著:12/07/2026 【要約】 グラハム上院議員はワシントンの自宅で亡くなったと公式に発表されています。 しかし、キエフからアメリカに戻る移動時間を計算すると、死亡時刻に自宅にいるのは不可能です。 つまり公式発表は嘘で、実際にはキエフで亡くなったというのが真実だと言えます。 ┈┈┈┈ ✒️ ┈┈┈┈ 【本文】 時間軸を追ってみましょう。公式見解によれば、7月11日午後8時30分(東部標準時)にワシントンの自宅から心停止の疑いで119番通報があり、彼は「自宅で亡くなった」ことになっています。 これは完全なデマです! では、詳細な時間軸を確認していきましょう。リンゼー氏は7月9日現地時間午前7時頃にダレス国際空港を出発しました。ダレスからワルシャワへのフライトは9時間を要します。その後、同日午後6時15分にワルシャワを発つ夜行列車に乗り、7月10日
噂によれば、リンゼー・グラム(Lindsey Graham)ーーリンジー・グラハム、リンジー・グレアム等とも読まれるのだがーーその彼は公式発表とは異なりウクライナで死んだらしいよ。 日本でも昨日すでにそう疑っている人がいたがね。 そういえば2週間前にロシアの戦略は豹変し、要人の暗殺への動きもあるという話を言っている人がいたな。今のところ上の話と直接結びつけるつもりは毛頭ないがね。 並行図書館 / Parallel Library | Alzhacker @Alzhacker 2026/06/30 プーチン変貌――欧州が創った戦時指導者 プーチンはもはや和平を口にしない。彼が繰り返すのは「勝利」と「解放」という言葉だけだ。この変化は、単なるレトリックの転換ではない。西側がついに、自らが最も恐れていた指導者を生み出してしまった瞬間である。 事の発端は、昨年12月にプーチンのヴァルダイ邸を狙った
www.pravda.ru リュボフ・ステプショワ著:13/07/2026 【要約】 ウクライナのゼレンスキー大統領は、アメリカのグラム上院議員が不審な死を遂げた翌日に、政府を解散させました。キエフはこの死にロシアの工作員が関与していると疑い、政府や軍の幹部から「裏切り者」を探す大がかりな捜索を始めています。 次の冬に向けて、壊れたエネルギー施設の修復は事実上不可能で、西側からの支援も減っています。防空能力も落ちており、ウクライナは非常に厳しい状況に追い込まれています。 政府の解散は、差し迫った崩壊への恐怖と焦りから、責任を誰かに押し付けようとする「パニック」の表れです。ゼレンスキーは忠実な側近だけを固め、秋まで奇跡的に持ちこたえることだけを願っています。 ┈┈┈┈ ✒️ ┈┈┈┈ 【本文】 キエフの最高指導部での突然の辞任劇は、ワシントンでの悲劇的な出来事を受けて発生し、これにより「クレ
2026.07.14 戦争扇動者グラハム米上院議員はキエフ訪問直後、どこで急死したのか カテゴリ:カテゴリ未分類 リンゼー・グラハム米上院議員が7月11日夜、「短期間の急な病気」によって死亡したという。同議員は10日にキエフでウクライナのウォロディミル・ゼレンスキーと会談、帰国したとされているのだが、元CIA分析官のラリー・ジョンソンは公式発表には矛盾があるとしている。 公式発表によると、議会議事堂の近くにあるグラハムの自宅から午後8時30分(東部時間)に心停止の疑いがあるとの通報があり、救急隊が駆けつけたのだが、彼は「自宅で死亡した」とされている。そこに至るまで彼がどのように動いたかをジョンソンは分析、矛盾があるとしているのだ。 グラハムは7月9日にダレス国際空港からポーランドのワルシャワへ向かい、同日18時15分(現地時間)に列車でワルシャワを出発、7月10日の9時45分から10時
2026年07月13日13:40 「赤いタカ」の失墜 リンゼー・グラハム氏の死去について 経歴とその意味 カテゴリウクライナ情勢 ロシア・ウクライナのメディア情報地域コミュニティー hara047 Comment(0) リバールの記事です。 【「赤いタカ」の失墜 リンゼー・グラハム氏の死去について】 米国の共和党上院議員リンゼー・グラハム氏(ロシア連邦においてテロリストおよび過激派に指定)が、米国で急逝した。同氏の代理人は、死因が「急病」および心停止であったと発表した。 グラハム氏は公然たる反ロシア主義者であり、トランプ氏の側近の中でも最も著名な「タカ派」の一人であった。強硬な姿勢は1980年代に形成されていたが、ロシア国民の間で広くその名が知られるようになったのは、「特別軍事作戦」が開始され、同氏が対ロシア制裁の立案者となってからのことだった。 ▼グラハム氏はどのような人物として知られて
高市早苗政権の "高すぎる" 支持率だが、イラン戦争の頃からようやく下がる兆しが見えてきた。「高市離れ」を先導しているのは若年層で、もともと高齢層には「高市嫌い」もわりと多いから、最近はこんな感じらしい。 しかし、3月以降は状況が一変する。18~29歳の支持率は3月に前月比9ポイント減の61%、4月には51%まで落ち込んだ。 (中 略) 18~29歳と70歳以上の高齢層が比較的低く、30~60代が比較的高い構図だ。……若年層を含めた幅広い年代から受けていた支持は、現役世代中心の支持構造に変わりつつあるとみられる。 毎日新聞、2026.6.5 (強調を追加)半年前も "半世紀前" も変わらないくらい、いまはみんな物忘れが激しいので、思い出そう。昨年の10月に政権が発足した時は、こんな空気だった。 高市内閣を「支持する」と回答した人の割合を年代別にみると、18~39歳が80%で前回9月調査〔石
『アメリカの代議士』に「のちに選挙の手伝いでコロラド州に行ったときに」とある程度なのは何故かについて書いていたら、それを補強する新しい報道記事が出た。 スクープです。 高市総理の経歴に関する疑惑を受けて、こんな反論ポストを投稿した内閣広報官・佐伯耕三氏。 〈記事引用だけの「取材に基づかない」記事でしたので、引用元の米記事でインタビューされているキップ・シェルーテスさん(総理の米国時代元同僚)に直接「取材」したところ、「She was… — 臼杵明裕「週刊現代」編集長 (@usukine1) July 10, 2026 まずここ👇に一言だが、「松下政経塾から派遣」ではなく、個人的に伝手を頼って事務所に受け入れてもらい、現地での生活費に松下政経塾から支給される活動資金を充てていたようである。 当時、高市氏は大学卒業後、「松下政経塾」に在籍・派遣される形で米国へ渡っていた。議員事務所側からすれ
アメリカ時代の元上司が取材に答えた!現在、高市早苗総理の「経歴」をめぐる問題がSNSで紛糾している。 神戸大学経営学部を卒業後、松下政経塾に進んだ高市総理は、在塾中に渡米。民主党のパトリシア・シュローダー下院議員(’23年に逝去)のもとで立法実務に携わったとされる。 この経験から、’93年に政界入りする前は「日本人初の連邦議会立法調査官」と名乗っていたが、のちに「立法調査官」という肩書きは存在しないとの指摘を受け、「コングレッショナル・フェロー(議会研究員)」と言い換えた経緯がある。 今回、まさにこの経歴への疑念が浮上したのだ。きっかけは、シュローダー氏が地盤としていたコロラド州デンバーの地元誌『Westword』が、今年2月6日付で掲載した記事だった。「日本初の女性首相、高市早苗氏はコロラドの先駆者に学んだ」と題したその記事の中で、同誌は高市氏について「シュローダー氏は彼女をインターンと
世の中 内閣広報官(色々投稿試し中) on X: "記事引用だけの「取材に基づかない」記事でしたので、引用元の米記事でインタビューされているキップ・シェルーテスさん(総理の米国時代元同僚)に直接「取材」したところ、「She was technically a Congressional Fellow」(彼女は正確に言えばコングレショナル・フェロー)とのことでした(続く)"
中傷動画問題をはじめとした数々のスキャンダル追及の渦中にある高市早苗・首相には、米国時代の経歴についての疑惑まで浮上している。その真相について、当時の同僚の証言を得た――。 米国時代の高市氏の仕事と生活 高市首相は神戸大学卒業後の1988年1月から1989年3月まで、女性の社会的地位の向上に力を尽くしたことで知られる米民主党のパトリシア・シュローダー下院議員(故人)の事務所で「コングレッショナル・フェロー(立法調査官)」をしていたと説明してきた。 この「連邦議会立法調査官」という肩書きについて疑問が呈されているのだ。 問題の発端は、そのシュローダー議員が地盤にしていたコロラド州の地元メディア「Westword」が「日本初の女性首相、高市早苗氏はコロラド州の先駆者から学んだ」と題する記事のなかで、高市首相について、「シュローダー氏は彼女を議会インターンとして採用した」と報じたことだ。 議会イ
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