1933年2月21日、特高に逮捕された小林多喜二が急死した。警察の発表は心臓麻痺であったが、実際には特高が小林に対して行った凄まじい拷問によるものだった。(写真は小林多喜二の遺体) 同日、母親の元に返された小林多喜二の遺体の様子を、立ち会った作家で作家同盟の同志であった江口渙が「われらの陣頭に倒れた小林多喜二」(昭和43年)という文章にしている。安田博士の指揮のもとに、いよいよ遺体の検診がはじまる。すごいほど青ざめた顔は、はげしい苦しみの跡をきざんで筋肉のでこぼこがひどい。頬がげっそりとこけて眼球がおちくぼみ、ふだんの小林よりも十歳ぐらいもふけて見える。左のコメカミにはこんにちの十円硬貨ほどの大きさの打撲傷を中心に五六ヵ所も傷がある。それがどれも赤黒く皮下出血をにじませている。おそらくはバットかなにかでなぐられた跡であろうか。 首にはひとまきぐるりと細引きの跡がある。よほどの力でしめた

