はてなキーワード: 痛風とは
「頭痛が痛い」と言うと、必ずと言っていいほど訂正したがる人がいる。
「痛みが痛いって言ってるのと同じ」
文章として整えるなら「頭が痛い」「頭痛がする」「頭痛がひどい」のどれかに直すと思う。私だって、会社の文書に「頭痛が痛い」と書いてあったら、たぶん赤を入れる。
でも、それは「整った言い方ではない」という話であって、「日本語としておかしい」とまでは言えないのではないか。
たとえば誰かに殴られて頭が痛い。柱にぶつけて頭が痛い。転んで後頭部を打った。
そういうときに「頭痛がする」とはあまり言わない。「ぶつけたところが痛い」とか「こぶが痛い」とか「傷が痛い」と言う。
つまり、日常語としての「頭痛」は、単なる「頭部の痛み」ではない。もっと症状の名前に近い。
外から与えられた痛みではなく、内側からじわじわ来る、重い、鈍い、締めつけられる、割れそうになる。あの状態に「頭痛」という名前がついている。
だから「頭痛が痛い」は、字面だけ見ると変なのだが、言いたいことはわかる。
「頭痛という症状が今かなりきつい」
「この頭痛は痛みが強い」
「頭痛にやられている」
要するに、そういうことを言っている。少なくとも、聞いた瞬間に意味不明で立ち尽くすような表現ではない。
それなのに、なぜか「頭痛が痛い」だけはやたら笑われる。
けれど「痛風が痛い」と聞いて、「痛い風が痛いとは何事か」と怒る人はあまりいない。普通に「ああ、痛風の発作か」「足が痛いんだな」と受け取る。
なぜか。
漢字をいちいち分解していない。痛風は痛風。だから痛風が痛くても、別におかしくない。
では頭痛はどうか。
けれど「頭」と「痛」があまりにも見えやすい。あまりにもわかりやすくできている。
そのせいで、言葉としてのまとまりより先に、漢字の部品が目に入ってしまう。
「あ、痛が二回ある」
「これは重言だ」
「はい間違い」
そういう反応になる。
「犯罪を犯す」もそうだし、「被害を被る」もそうだし、「まず最初に」もそう。
探せばいくらでもある。重なっていると言えば重なっている。けれど、実際には普通に使われている。
もちろん、それぞれ嫌う人はいる。私も、場面によっては直したほうがいいと思う。
ただ、重なっているから即アウト、というほど言葉は機械的ではない。
「頭痛が痛い」は、言葉として洗練されてはいない。けれど、痛みにやられている人間の言葉としては、かなり本物に近い。
専門家じゃないからどっちが正しいとかは言及できないんだけどさ
痛風増田の言ってる第八章の「旧態LGPLライセンスが良いならフォークして作りゃいいじゃん」はまあその通りなんだけど
現メンテナが7.x系で本体のライセンス切り替えるアプデするよりは自身でフォークしてMITライセンス版で切ったら良かったんじゃねえの?
それだとフォーク先も7.xも6.x以前の改造物扱いになるからLGPL引っ掛かんのかね?
LGPL→MITだからまだアレだけど、これが急に本流ソース丸ごと明日からCC0にするやで~ってなったらオリジナルがチョ・マテヨってなってもおかしくはないんじゃねえかなあって思うた
江戸時代から続く「ぼだっこ」屋の跡継ぎと外国人の間に生まれた主人公は幼少期から塩分過多の食事をしていたが地元ではそれが普通なので自分は健康だと思っていた。
しかし、都会の学校に出て受けた健康診断で異常な数値が発覚し「このままだと25歳で死ぬ」と言われてしまう。
彼女の地元に昔から住んでいたのは塩分に耐えられる血族だけで、ハーフとしての特性を強く受け継いだ彼女の体は塩分過多の生活に耐えられるものではなかったのだ。
そして彼女は突然強烈な痛みに襲われ・・・自分が痛風を既に発症していることを告げられるのだった。
激痛の中彼女は「キラキラも友達も学歴も要らない。塩分の少ない食生活を送ってこの痛みから逃げること以外今は考えたくない」と誓うのだった
みたいな感じの奴をな、頼むぞ。
俺は非難されている。
それは俺の脳内にだけ起きているのかも知れないし、俺が相談した医者だけが嘘つきなのかも知れない。
目に見えず信頼できる数値化も難しい「体臭」という概念で持って、俺は日夜攻撃されている実感の中で生きている。
通りすがる同僚が俺を「臭い」と言い、横切った通行人が咳き込む。
それが幻聴なのか他の事象への脅迫的な結びつけなのか俺にはもう分からない。
いつも小声で呟かれる「臭い」はレコーダーには拾われず、遠くで大声で語られる「誰かの体臭の話」はその正体に要領を得ない。
「アイツは自覚がないんだよ」と誰かが口にしているが、それが何を指しているのかは具体的には分からない。
ただ一つ言えるのはいつも同じ口調で大声で何かを避難している数人の同僚と、数十人の同僚が小声で口にしている気がする「臭い」という呟きだけだ。
統合を失調仕掛けているのかもしれない。
「おいお前ら!ここにもこんな臭いやつがいるぞ!こいつはどうなんだ!」と叫びそうになってしまう。
俺はもう限界なんだと思う。
でも同時に「全てを諦められる領域」へのアセンションが近づいている実感がある。
だってこんなにも何年もはっきりと攻撃されているが、未だに明確な差別は受けていない。
いや、俺がいない所、たとえば飲み会の席や喫煙所で「臭すぎー」「それなー」「死ねー」「殺してー」と言われているかもしれないんだが、よくよく考えたらよっぽどの善人以外は何らかの欠点をあげつらわれるか、ないしは美点への嫉妬や価値観の相違を根拠に「うぜー」「死ねー」「分かるー」「殺してー」と言われているのだろう。
だが、それらは「何らこの民事裁判や刑事罰を引き起こせるレベルでの実害を生じているか」という論点で見れば「そこまでは行かないかも」という結論にいたり、そしてそれは俺が一日数十回か百数十回かないしは数百回かもしかしたら千回以上耳にする「臭い」の小声だって変わらないのだ。
ただ「臭い」という声がするだけだ。
俺の知らない所で何らかのNGリストに入ったりしてるのかも知れないが、そんなのは目に入らないのなら無いと同じだ。
俺は小声の悪口以外はこれと言って大きな実害を受けていない。
それさえ無傷で終わるならすべては無害となる。
その領域が近づいている。
何年も続く自臭症は何人もの医者により証明され、結論は「本当に臭くない」か「医療的措置が必要となるラインでもないのに騒ぎ立てる集団の中で暮らしている」のどちらかであることが判明している。
あとはもう俺の気の持ちようだけだ。
明確にはなんの差別も受けていない世界の中で、俺の耳にだけ聞こえレコーダーが拾わない小声の悪口が何度となく聞こえるだけだ。
気にするな。
生きよう。
本当に臭いのだとしても、医者が問題ないと太鼓判を押すレベルのものを騒ぎ立てる奴等こそが悪いんだ。
そんなに臭い人間が許せないなら、老人ホームで臭い老人を大量虐殺してくればいいじゃないか。
どこぞの聖とお前らの境界は実行に移すか否かの薄皮だけだって自覚すらない差別主義を抱えてることによくもまあ無自覚で、いや、無自覚だから平気なんだろうな。
つまりは、もし俺のこれが幻聴じゃないなら、奴らは単に「バカ」ってことか。
それはそれで悲しいなあ。