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中正式歩槍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
二四式/中正式
二四式/中正式
種類 ボルトアクション式小銃
原開発国 中華民国の旗 中華民国
運用史
配備期間 1935年 - 1980年代
関連戦争・紛争 国共内戦日中戦争第二次世界大戦第一次インドシナ戦争朝鮮戦争ベトナム戦争
開発史
開発期間 1934
製造業者 鞏県英語版漢陽英語版、金陵、広東の各兵工廠
製造期間 1935年 - 1949年
製造数 ~600,000丁
諸元
重量 4.08 kg (9.0 lb)
全長 1,110 mm (44 in)[1]
銃身 600 mm (24 in)

弾丸 7.92x57mmモーゼル弾
作動方式 ボルトアクション
発射速度 15発/分
初速 810m/s (2,657 ft/s)[1]
装填方式 5連発挿弾子(固定式弾倉)
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中正式歩槍は、中華民国で開発されたボルトアクション式小銃である。ドイツ製モーゼル・スタンダードモデル英語版小銃をコピーしたもので、その名は蔣介石の諱(本名)である中正に由来する。試作品の製造は1935年(民国紀元24年)に行われたため、ここから二四式歩槍とも呼ばれる。そのほか、英語圏では蒋介石ライフル(Chiang Kai-shek rifle)、ゲネラリッシモ・ライフル(Generalissimo rifle[2])などとも通称される。共産党軍では79式とも呼ばれた。

本格的な製造は1935年末には始まっているが、完全な標準化は日中戦争が始まる頃まで待たねばならず、旧式の漢陽88式小銃の製造数の方がより多く製造されていた。

歴史

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着剣した中正式歩槍
1942年P-40戦闘機を警護する国民革命軍の兵士

中正式は、国民革命軍の主力小銃の1つであった。kar98kと同様、Gew98を短縮/軽量化した設計で、輸出用に製造されていたモーゼル・スタンダードモデル英語版をコピーしたものである。1934年、10,000丁のスタンダードモデルが中国によって購入され、同時に国産化のための機材等もドイツ側から提供された。ただし、この時の機材には誤ったものが含まれていたとして、1935年初頭に改めて新たな機材の提供が行われた[3]

1935年7月には鞏県兵工廠英語版での生産が始まったものの、工業力による制限があったため、生産数は比較的少なかった。当初は二四式として製造されていたが、蒋介石による兵工廠視察の後、これを記念して中正式という名称が使われるようになった[4]

戦争が長引くにつれて、重慶や昆明など西部の工業都市でもこの小銃の増産が試みられたが、日本軍による破壊あるいは鹵獲を避けて生産設備の移動が繰り返され、品質管理に悪影響を与えることとなった[4][5]

モーゼルC96M35鉄帽と合わせて、中正式は蒋介石に率いられた国民革命軍を象徴する装備の1つとなった[6]。皮肉なことに、国共内戦の只中にあって蒋介石と対立する立場にあった共産党軍でも、中正式は広く配備されていた[7]

中国のTung Chih Yehという軍曹は、1丁の中正式(スコープは使うことも使わないこともあった)のみを使って、長江周辺にて100人以上の日本兵を殺害したと主張していた[8]

1941年、共産党軍は中正式のコピー銃を設計し、八路軍を率いた朱徳の55歳の誕生日を記念してこれに55式の名称を与えた[9]

1935年から1949年までの製造数はおよそ600,000丁で[10]、このうち400,000丁は戦争の最中に製造されたものである[11]

1940年代末までに、国民革命軍はM1カービンM1ガーランドトンプソン・サブマシンガンなどの援助として受け取ったアメリカ製火器の配備を進め、中正式は前線では徐々に使われなくなっていった。ただし、少数は以後も残され、台湾に移った後の中華民国軍(台湾軍)の予備役部隊では1970年代まで使われていたという。また、M1ガーランドと共に台湾軍の儀仗銃としても使われている[要出典]朝鮮戦争では中国人民志願軍ソビエト連邦から援助として受け取った様々な小火器を運用したが、中正式もこの中に含まれていた。また、この際の援助にはドイツ製のkar98kも含まれていた[2]第一次インドシナ戦争の際にはベトミンによって使われたほか[12]ベトナム戦争中のベトコンでも使われた[13]

中華人民共和国の民兵組織や地方の準軍事組織では、中正式や有坂銃モシンナガンといった小銃が1980年まで使われ使われていたが、より先進的な装備(56式自動小銃56式半自動小銃など)で更新された後、一部のみ儀仗銃として残された[7]。人民解放軍や民兵が保有したこれらの小銃は、1960年代の文化大革命の際に紅衛兵らによって使われた[14]

設計

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中正式は、日本製の有坂銃と比較した場合、7.92x57mmモーゼル弾のストッピングパワーが大きなアドバンテージとなったほか[5]、速射性能や射程でも勝っていた[7]。全長はkar98kと同程度で、元のGew98や日本の38式歩兵銃よりも短かった。一方、射撃時の発砲炎や反動は大きかった[11]

モーゼル小銃と同型の着剣具を備えており、HY1935銃剣を取り付けることができた[15]

使用した国/組織

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関連項目

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脚注

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  1. ^ a b c Ness & Shih 2016, p. 258.
  2. ^ a b c Smith, Joseph E. (1969). "Chinese rifles". Small Arms of the World (11 ed.). Harrisburg, Pennsylvania: The Stackpole Company. p. 294.
  3. ^ Ness & Shih 2016, p. 250.
  4. ^ a b Ness & Shih 2016, p. 251.
  5. ^ a b 中正式步枪:作用有限的抗战利器(图)” (中国語). chinanews.com (5 February 2015). 2019年4月3日閲覧。
  6. ^ a b Yeung, Norton (March 31, 2016). “An Unexpected Partnership: Nazi Germany and the Republic of China”. 2019年4月3日閲覧。
  7. ^ a b c 火器堂 - 奮戰八年 - 中正式步騎槍”. www.chinesefirearms.com. 2019年4月3日閲覧。
  8. ^ Bolt Action: Empires in Flames: The Pacific and the Far East by Andy Chambers, page 39.
  9. ^ 55式步枪的来历,55式步枪”. 2022年6月23日閲覧。
  10. ^ 奋战八年--中正式步骑枪” (中国語). March 31, 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年8月3日閲覧。
  11. ^ a b Ness & Shih 2016, p. 263.
  12. ^ Notes on the Viet Minh Army on the final stage of the Indochina war, The War Office, June 1956, p.25
  13. ^ a b Rottman, Gordon L. (10 Feb 2009). North Vietnamese Army Soldier 1958–75. Warrior 135. Osprey Publishing. p. 25. ISBN 9781846033711. https://books.google.com/books?id=iC21CwAAQBAJ 
  14. ^ Smith, Joseph E. (1969). "Chinese communist militia weapons". Small Arms of the World (11 ed.). Harrisburg, Pennsylvania: The Stackpole Company. p. 299.
  15. ^ Chinese Mauser Chiang Kai Shek or Zhong Zheng Shi : : C&Rsenal”. surplused.com. 2018年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月3日閲覧。
  16. ^ Jowett, Philip S. (2004). Rays of the Rising Sun: Armed Forces of Japan's Asian Allies 1931-45: Volume 1: China and Manchukuo. Helion & Company Limited. p. 75. ISBN 9781906033781 
  17. ^ Tucker-Jones, Anthony (30 August 2017). Dien Bien Phu. Pen and Sword. p. 28. ISBN 9781526708007. https://books.google.com/books?id=V4QwDwAAQBAJ&pg=PA28