酒井忠用
酒井 忠用(さかい ただもち)は、江戸時代の中期大名、京都所司代。若狭国小浜藩第7代藩主。小浜藩酒井家8代。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保7年11月27日(1723年1月3日) |
死没 | 安永4年9月27日(1775年10月21日) |
墓所 | 福井県小浜市空印寺 |
官位 | 従五位下修理大夫、従四位下讃岐守、侍従、左京大夫 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗→家重 |
藩 | 若狭小浜藩主 |
氏族 | 酒井氏 |
父母 | 父:酒井忠音、母:武藤氏 |
兄弟 | 忠通、忠存、忠用、忠与 |
妻 | 正室:松平定儀の娘 |
子 |
娘(森川俊孝正室)、娘(加藤泰武正室)、娘(酒井忠鄰正室)、娘(酒井忠実室) 養嗣子:忠与 |
人物
編集第5代藩主・酒井忠音の4男。夭逝した兄・忠存の跡を継いで藩主となった。延享4年(1747年)奏者番兼寺社奉行、同年大坂城代、宝暦2年(1752年)京都所司代。宝暦7年(1757年)隠居し、家督を弟の忠与に譲る。安永4年(1775年)に没した。
経歴
編集官歴
編集系譜
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