ドイツ在住のフォトグラファーが、現地で出会った個性あふれる人々のクローゼットの扉を開きます。そこに並ぶのは、ただの衣服ではなく、持ち主の人生の記憶。服との思い出から紡ぎ出される、十人十色の人生のストーリーをお届けします。
ベルリン中心部を離れ、シュプレー川沿いを南東へ進む。
やがて景色は一変し、無骨な赤レンガ建築が次々と現れる。シェーネヴァイデの旧工業地区だ。
19世紀末の工業化とともに発展したこの街は、東ドイツ時代にも生産拠点として機能し続けた。東西ドイツ統一後、多くの工場はその役目を終えたものの、赤レンガの産業建築群は再開発の波をくぐり抜け、今なおまとまった姿で残されている。
その一角にあるアトリエハウスが、今年78歳になるブリジッタさんの住まいだ。
アトリエハウスとは制作の場と住まいが一体になった、アーティストのための居住スペースのこと。ブリジッタさんが暮らすのは、倉庫を改装した建物の一室。類を見ない広さのロフト付きワンルームだ。
アーティストのブリジッタさんはこの部屋で作品制作のほか、太極拳と気功の講師としても活動している。
「お隣さんはファッションフォトグラファー。他には彫刻家や画家が住んでいます。近所同士の往来も多く、小さなコミュニティーとして機能しています」
このアトリエハウスに暮らし始めたのは2016年。46年にわたるフランス各地での生活を経て、夫アルグエロさんとともに母国ドイツへ移住した。
しかし、移住して間もなくアルグエロさんは他界。現在は100平米を超えるこの部屋で、1人暮らしをしている。
「夫との関係性は……言葉にできないんです。特別だった。正直、ここに1人で住んでいるのは苦しく感じることもあります。心にぽっかりと穴が空いた感覚です」

パリ生活の光と影
室内に、制作と生活を隔てる明確な境界線はない。それでも持ち物の置き場所は本人の中ではきちんと決まっているようだ。
取材中、ブリジッタさんは部屋のあちこちから服やアクセサリーを迷うことなく取り出して見せてくれた。自らデザインしたスカーフやアクセサリー、親交のあるデザイナーが制作したコート——。どの品にも人とのつながりと思い出がある。
戦後の南ドイツの郊外、7人兄弟のなかで育ったブリジッタさん。ビートルズに夢中だった少女時代。イギリスやアメリカの文化がまぶしかった。
「かつてフランクフルトにあった、米軍関係者以外は立ち入ることのできないジャズクラブに友達のつてで入れてもらっていました。周りは駐留の米兵と、彼らを取り巻く金髪の可愛い女の子たちばかり。そのなかで誰よりも夢中になってジャズを聴きました」
一方で、ものづくりも大好きだった。
「手仕事が大好き。幼い頃から常に何かを作っていないと落ち着かなかったのです」
ブリジッタさんは、1969年にフランスへ移住。外国の文化への興味と、ものづくりに対する貪欲なバイタリティは落ち着くどころか、ますます強くなっていった。
のちの夫となるフランス人のアルグエロさんと彼女を結びつけたのもまた、創作への情熱だった。
「私たちはずっとファッションの仕事をしていました。1970年代初頭、パリのマレ地区にあった友達のブティックのスペースを借りてヴィンテージの洋服や小物を売り始めました。今でこそ、ヴィンテージショップってパリを歩けばどこにでもありますが、当時は古着に価値を見出す人なんていなかったのです。珍しい活動だったこともあり、多くの人との出会いに恵まれました。それが結果的にパリのファッション界へ入っていくきっかけになったのです」

のちに2人は生地のプリント柄を制作するテキスタイルデザイナーとして活動を開始。ビジネスは大いに成功し、パリのファッションを語る上では欠かせないデザイナーたちとの仕事に発展した。
「著名なフォトグラファーが撮影する広告にも私たちのデザインが採用されるようになり、業界の人々に知ってもらう機会がぐっと増えました。ヨーロッパのみならず北米、アジア市場向けにも制作していましたよ。日本にはお得意さんがいて、シーズンごとに相当数の生地を送り出しました」
順風満帆であったテキスタイルのビジネスは、会社の主要メンバーの1人が欠けたことをきっかけに休止。最終的には権利を争って裁判へ発展するほどに泥沼化し、ブリジッタさん夫妻は資産のほとんどを失った。
「こんな話はあまりしたくないけど、この時に多額のお金を失いました。ちょっとやそっとのお金じゃない……。本当に大きな額でした」
その頃、ブリジッタさん夫婦は南仏・コート・ダジュールへ拠点を移す。忙しいパリとは毛色の違う、地中海沿岸のエリアだ。
「アートと音楽にあふれた、豊かな文化を持つところ。私たちの肌に合いました」
コート・ダジュールでは、のちにフランス国内外で知られるようになるファッションブランド『CHACOK(シャコック)』との出会いもあった。ブリジッタさん夫妻はブランド創成期から約25年にわたり、コレクションに用いるテキスタイルの柄をデザインした。
長年南仏で暮らしながらも、パリとの縁が切れることはなかった。
「パリには友人がたくさん住んでいたので、いつも足を運んでいました。今の私の活動の一つである太極拳と気功も、そこで出会った中国人の先生がきっかけです」
46年振りに母国ドイツへ
そうして長いフランス生活のあとにたどり着いたのがベルリンだった。
ブリジッタさんとアルグエロさんは、テキスタイルデザインに加え、絵画作品の制作にも取り組んできた。2人が長年積み重ねてきた創作活動は、近年シェーネヴァイデの『ラインベックハレン財団』で開かれたデザインアーカイブ展でも振り返られている。
「そもそも、自分1人ではこうしてまたドイツに住もうと思わなかったかもしれません。私たちにとってベルリンでの暮らしはちょっとした実験のつもりだったのです」
だからこそ、1人でのベルリン暮らしについては考えることがある。
「今となっては、このアトリエハウスが好きだからベルリンに住んでいると言っても過言ではないです。ベルリンが自分に合っているのか、わからない。パリで感じられるような刺激と比べて、ここはペースがゆっくりだから。ドイツ人でありながら、どこか異邦人のような感覚です」
アトリエハウスの賃貸契約の満期は2028年。その後もこの場所に住み続けるのか、それとも別の場所へ移り住むのか。自身の将来については、まだ模索中であるという。
「人生って、いろいろな可能性があると思うんです。もしかしたらベルリンが楽しくなってずっと住み続けるかもしれないし、パリ……もしくは全く他の場所に行くかもしれない。自分の直感を失いたくないから、未来は決めない」
「一つだけ言えることは、私は一度決めてしまえばどこへでも行けるということ。私、執着ってないんです。その気になれば、ものの数日で引っ越すことだってできるんですよ。だから、大丈夫。どうなろうと自分の心が向くほうへ行動するだけです」
そう言うと、ブリジッタさんは屈託のない笑顔を見せた。












