まき散らした戦塵は溜まるばかり
建国250周年となる7月4日を目前に、アメリカは今、祝賀準備に全米各地で大わらわである。
……という一文で始められればよかったのだが、残念ながら、今のアメリカにそのような伸びやかな雰囲気はない。特に政界は毎日がジェットコースターだ。
一番大きいのは、やはりイラン戦争で、6月に入りようやく一応の停戦覚書(Memorandum of Understanding)が、アメリカとイランとの間で交わされたものの、さしあたって60日間の停戦にすぎない。その間にホワイトハウスは、イランとの間で今後の両国の関係を定める諸条件を詰める一方、アメリカ国内では条約締結に向けて議会との折衝に臨まなければならない。イランに対して戦端を開くのは、トランプ大統領の一存で強行できたが、しかし、条約締結には連邦議会の承認が必要となる。
だが、その議会、とりわけ上院は、簡単にトランプ2.0の意向に沿う気を見せなくなった。この春に行われた予備選で、トランプが支持したMAGA派の対立候補に敗れた現職の共和党議員たちが、もう無理にトランプの意向に沿わなくてもかまわないと、腹をくくったためだ。戦争は莫大な国家予算を要し、現存兵器の在庫も減っていき、それは他の地域における米軍のプレゼンスにも影響する。しかも今回のイラン戦争については、アメリカはほとんど新たに得るところのない結果に落ち着きそうなため、何のための戦争だったのかとホワイトハウスへの非難も絶えない。
そんな戦時下で、呑気に建国250周年を祝う空気になるはずがない。
実のところ、建国250周年の祝賀の準備も2派に分かれている。といっても、その対立は「右派 vs 左派」でも「保守 vs リベラル」でもなく、「連邦議会 vs ホワイトハウス」だ。10年前の2016年に議会が設立した超党派委員会による「アメリカ250」と、就任後、トランプが新たにホワイトハウス主導で始めた「フリーダム250」の2つの組織が、それぞれ別々に祝賀準備を進めている。とてもではないが、ユニティの下で祝えそうもない。実際、フリーダム250のイベントに参加が予定されていたミュージシャンの多くが、非党派的なアメリカ250と誤解していたことに気づき、フリーダム250への参加を辞退する動きが続き、両者の対立が鮮明化した。結果、トランプが、フリーダム250の主役は自分だと主張し、フリーダム250はますます党派的なMAGAラリーの色を濃くしている。
そんなトランプの意向を知って、むしろMAGAリパブリカンは祝う気満々だ。彼らの歓迎のためにと、トランプはワシントンDCに建国祝賀のためにあれこれと手を加えてきた。前回触れたワシントンDCの改造計画もその一環だ。むしろ、ここまで建造物の所在や美観に拘るところは、トランプが不動産を生業にしてきたことを端的に物語っている。
今、その話題は、もっぱら「リフレクティング・プール」に集中している。
リンカーン記念堂のリフレクティング・プールを「星条旗の青(アメリカン・フラッグ・ブルー)」に変えようと改修工事を行ったのだが、青どころか、緑色の、見方によっては汚水のような混濁したものになってしまった。プールの水を一度抜いて塗替えを行ったが、改めて水を張った直後から藻が発生し、プールと言うよりも沼地のような濁った緑色になってしまった。この結果にトランプは大変憤り、敵対者がわざと肥料を投下し藻を急成長させたなどという陰謀まで語っている。
この事件は当初こそ、報道機関にとっては些末なことでわざわざとりあげるまでもないものとして扱われていたが、トランプが騒ぎ立てたことで、むしろ、トランプ2.0の失調の象徴として扱われることになった。ホテル王トランプの美意識の下で始められたDC改造を皮肉るための格好の素材となった。ついには、その汚れた水──臭いもキツイとのこと──を写真で拡散されないよう囲いも用意されているという。
こんな具合で、建国250周年という記念日にも暗雲が立ち込めている。
露と消えた凱旋パレード
想像するにトランプは、イラン戦争を短期間で勝利し、その凱旋パレードを建国250周年の記念日に行うつもりだったのではないか。
そのためのステージを整えるためにワシントンDCの改造を進めていた。そうして「強い大統領」としての自分を250周年記念の歴史に刻もうとした。そのための凱旋門の建築案だ。わりと本気で皇帝を狙っていたのかもしれない。そう思うと、6月14日の80歳の誕生日にホワイトハウスのサウスローンに設置した特設リングでUFCの格闘技試合を行ったのも、「強い大統領」のイメージを先んじて流すためだったのかもしれない。あるいは、戦争終結が遅れた場合でも「強さ」を強調するために。
フリーダム250はDCでのイベント開催に積極的で、6月25日からナショナル・モールを舞台に「グレート・アメリカン・ステート・フェア」を開催した。7月10日まで続くこの催し物には観覧車も用意されるなど、いかにも中西部あたりで見かける「フェア」で、確かに赤いMAGAキャップを被った観光客を中心に好意的に受け止められている。
だが、コネティカット、マサチューセッツ、ノースカロライナ、オレゴン、ロードアイランド、ヴァーモント、ワシントンの7つの州は参加を見送った。ヴァーモントを除いて民主党の州知事が治める州であり、ヴァーモント州知事のフィル・スコットは共和党員だがトランプ批判で知られる。つまりは党派的な判断からの不参加で、50州全てで祝うフェアにはならなかった。
言い換えれば、建国250周年はホワイトハウスの介入によって党派化され私物化された。議員たちは、そんなトランプ色にドレスアップされたDCからは離れ、フィラデルフィアで祝賀を行う予定だ。フィラデルフィアは独立宣言が採択されたアメリカ発祥の地である。
始めに議会ありき
かくして、「トランプ vs 上院」の共和党内の対決が鮮明になってきた。
従来アメリカでは、憲法の第1条で連邦議会が扱われていることから、議会がアメリカにおける「国民主権」の担い手であり、続く第2条(大統領)、第3条(最高裁)も、国民の主権を託された議会が認める予算によって運営される組織として理解されてきた。
「三権分立」の下では、立法部(連邦議会)、執行部(大統領府)、司法部(最高裁+連邦司法システム)は、互いに牽制し合う権力として位置づけられるが、しかし、それらが「生成」された順番としては、まず議会があり、その立法能力の下で、執行部(いわゆる「行政」)と司法部が運営されることになる。
そこから連邦議会こそが “We the People” の第一の担い手として見なされてきた。その世界観からすれば、国民からの直接投票で選ばれる大統領も、彼の配下たる閣僚たち──英語ではsecretary(秘書)──とともに議会の監視対象となる。そのため必要に応じて議会に召喚されるし、大統領の行えることも議会の定めた法律に縛られることになる。
この「連邦議会と大統領の間の理念的な力関係」、つまり、連邦議会が大統領よりも優位にある、という上下関係をひっくり返したのが、トランプ2.0で使われている「単一執行府理論(unitary executive theory)」。それによって「独立行政委員会」という存在まで大統領の好きにできる組織として扱っている。この6月に出された最高裁の判決(「トランプ対スローター」判決)でも、FRB(連邦準備制度理事会)を除き、議会が法で独自に設立したものであっても、独立行政委員会の人事権は大統領に属することが確認された。単一執行府理論の提唱者の一人であるジョン・ロバーツ首席判事が率いる保守派優位の最高裁らしい判決だ。今後、この判決は単一執行府理論を確立されたドクトリンとする上での先例の一つとなることだろう。
以前、初めてアメリカの独立行政委員会について知った時、どうして執行府(行政府)の長である大統領から「独立」なのか、代わりに、どうして議会によって監督されるのか、不思議に思ったものだった。独立行政委員会も、たとえば通信放送業界(FCC)や証券業界(SEC)、医薬品業界(FDA)などの分野で、行政的手続きの管理や法の執行、時に行政命令も発令するのだから、執行府の一部として大統領が監督するものと思っていたからだ。
だが、それも、アメリカという国が「始めに議会ありき」の建前で成り立っていると知ってようやく合点がいった。とにかく議会が定める法律によって、どんな政府組織も設置が決まり、その運営上の予算が決まる。だから、形の上では大統領府も独立行政委員会も、連邦議会からすれば、どちらも自分たちが法律を通じて具体的な形態を与えている。なるほど、だから大統領府から独立した行政委員会なのか、と納得したのだった。独立行政委員会が存在することで、議会は間接的に大統領府に対する優位性を示すことができる。どちらが格上か示すことができる。
ところが、その議会優位の原則も、ロバーツ法廷によって覆された。無論、この単一執行府理論は、強い大統領を超えて、強すぎる独善的な大統領をもたらす危険もある。その点で、元軍人の政治家たち、たとえばマーク・ケリー上院議員(アリゾナ州)やトッド・ヤング上院議員(インディアナ州)から、「法の支配」を強調し、大統領の独裁可能性を牽制する動きが出ていることは注目に値する。
見方を変えれば、最高裁も乗り気の単一執行府理論については、立法府たる連邦議会、とりわけ上院くらいしかもはや防波堤がないともいえる。議会の行く末が、今後のアメリカの進路を見極めるうえで重要となる理由である。
だからこそ、今年の中間選挙は、例年と違って注目を集めているわけだ。
注目を集めたニューヨーク州の予備選
先述の通り、共和党では中間選挙に向けた予備選を通じてトランプ支配が強まっている。レッドステイトとブルーステイトのように、共和党あるいは民主党による政治が安定化した州は、いわば一党独裁が続く国のようなものだ。そこでは、本選を待たずに予備選が事実上の選挙となる。党の予備選で、しかも、政治的意識の高い、まさに党員といってよいタイプの市民による投票で、事実上の本選当選者が決まる、それで本当に民主的社会といえるのか、という非難もあるが、だが、それが実情だ。これは民主党が優勢なブルーステイトでも変わらない。その点で注目を集めたのが、ニューヨーク州の予備選だ。そこでは「マムダニズム」旋風とでも言うべき動きが見られた。
ブルーステイトのニューヨーク州では、11月の中間選挙に向けた予備選で、ゾーラン・マムダニ市長の推薦した3人の「民主社会主義者(democratic socialist)」の候補が勝利した。このことで「マムダニズム(マムダニ主義)」を、未来の民主党の姿としてもてはやす報道機関も出てきた。マムダニを次代の民主党のキングメーカーとも呼ぶ声さえある。
トランピズムの向こうを張る政治運動としてマムダニズムに期待が寄せられるのも理解できるが、まずは冷静に検討する必要があるだろう。というのも、これはまだTea Partyの段階でしかなく、大衆運動になるにはもう一段、MAGAのような、普通の人の心に直接響く、わかりやすいモットーが必要なのではないか。なぜなら、このマムダニ推薦の三人の勝利には、「アンチ・イスラエル、プロ・パレスチナ」の要素も強かったからだ。
注意すべきはマムダニズムの脆弱性だろう。社会主義的な政策を必要としているのは、経営層、つまりアメリカ版の貴族階級でもあるからだ。発想そのものは、AIによる労働崩壊が社会問題化し、責任をとれと言われる前に、ユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)などの「プログレッシブ(進歩的)」な政策の導入に躍起になっているOpenAIのサム・アルトマンあたりと変わらない。アルトマンの場合、UBIはすでに喫緊の課題で、その環境整備の程度によって、年内に予定されている上場の後の株価推移にも影響を与えるのではないかと見られている。AIの普及で社会の随所で大量解雇が生じる未来を案じてのものだ。社会が腐れば、会社の存続も怪しくなる、そういう話だ。国際競争を続けるのも困難になる。その意味では、UBIもまた、ロジスティックスの一環と言える。
そう考えるとマムダニが支持した民主的社会主義者が勝利したことは、むしろ、民主党が、先鋭化したエリート愛国者党へと追い詰められていることを示唆しているのではないか。政治意識の高い、民主党版のTea Party Movementと思うべきではないか。そのような指摘にも一理ある。
マムダニはしばしばインタビューで「ワーキング・ピープル」という言葉を使う。だが、「ワーキング・ピープル」という言葉を用いるのはインテリが中心。もしくは経営者。エンプロイー(被雇用者)の叛乱を怖れる経営者は、労働者を手懐けるために、可能な範囲の社会保障を考える。それが賢い経営のやり方だからだ。選挙後の速報によれば、マムダニの推薦者の勝利をもたらしたのも、意識高い系のニューヨーカーであり、その中には、経営側に属する白人富裕層も含まれているという。まさにMBAコースで学んだHRの処方箋として、適切な保障を与えることの有用性を知る層だ。被雇用者=労働者を管理・統治するためのレバーとしての労働政策の有用性だ。
マムダニが市長選でも強調していたハウジングという争点がまさにそれだ。家の確保──家の購入だけでなく安定した賃貸契約も含む──のための支援は、労働者の生活条件の向上だけでなく、ホームレス(顕在的・潜在的)の減少による社会不安の除去のためにも有効で、正しく公共政策に関わる案件だ。
自己啓発の国、アメリカ
だが、通常、労働者にあたる「普通の人たち」の社会観はそのようなものではない。端的に、ワーキング・ピープル自身は、自分たちのことを「労働者」とは思っていない。アメリカ人がどうして、社会主義や共産主義、マルクス主義を嫌うのかというと、その理由のひとつに、彼らが不用意に自分たちのことを「労働者」と呼ぶことがある。
もちろん、労働組合があった大企業を経験したことがある人なら、それが経営層との間で雇用条件(賃金や社会保障の細部)を議論するうえで有用な概念であることを知っているのだろうが、レーガン以降のアメリカでは、民主党支持者も含めて一般に労組の力が弱くなったのは周知の通り。
だから今どきのアメリカの労働者が、労組の語法で職場環境を語られることに慣れていない、ひどい場合は、積極的に反感を覚えるのも自然なことだ。インターネットの時代は、よくも悪くも「起業家」が称揚され、自己責任のもとで成功・不成功を問われる場面が多かった。この「成功者の論理」は、自己啓発ムーブが常に漂うアメリカではごく普通のものだった。政治家未経験のトランプが人気を集めたのも、彼が「自己啓発セミナー」で成功譚を語るグループに属する経済的成功者の一人だったことが大きい。なにしろ、『アプレンティス』のホストだったのだから。労使交渉に臨むよりも、事業を起こし成功するほうが、普通のアメリカ人が望む夢により近かった。もちろん、その夢は多くの場合、幻想であり、ひどい場合、妄想になるのだが。
しかし、「自力で成功する」以外の成功ルートを、普通のアメリカ人が想像できないのも確かなことだ。少なくとも大学進学に至らなかった「普通の人びと」は、大卒というライセンスをもって政府や大企業、或いは専門職について経済的に成功する道は残されなかった。その意味では、インターネットによる起業ブームは、ミレニアル世代に対して、さまざまな点で「成功に満ちた歪んだ社会像」を備給した疑いは拭えない(詳細は、『ウーバーランド』のレビューを見てほしい)。
もっともトランピズムは、その「起業家」イメージすら思い浮かべることができず、とにかく自分のアイデンティティの源を「アメリカそのもの」にするしかない人たちが寄り集まることでムーブメントに成長した。その点で、共和党を襲ったポピュリズムが、Tea PartyからMAGAへと移行したのもきちんと理由があった。「ワーキング・ピープル」という自意識もなく、「起業家」という気概もなく、ただの「アメリカ人」としてしか自己同定できない人たちがMAGAの岩盤支持層となった。それが概ねアメリカ人(の有権者)の3分の1を占める、というのが、イラン戦争後低落したトランプ2.0の支持率から想像できることである。
共和党が多数派になるまで
トランプ2.0がトランプ1.0と異なる点としてしばしば取り上げられることに、「民主党の不甲斐なさ」がある。トランプ1.0の頃と比べて、民主党を起点にしてトランプ2.0に挑戦するムーブメントがあまり見られない。そこから、民主党の不甲斐なさが解析され、そこから出てくる一つの答えが、民主党はエリートの党になった、というものだ。
今の民主党は、社会主義やマルクス主義がもちだす「階級(クラス)」という言葉を社会分析のための「分析ツール」として利用できるだけの、学術的訓練を積んだ高学歴者たちからなる、と考えられている。その蔑称が「Woke」だ。
経済学や社会学などの社会科学系の訓練を受けた人たちが、政策や政治運営の現場に配置されるのだから当然なのだが、問題は、その説明が通じる人の範囲がどんどん狭まっていることだ。あるいは、そのような専門的な言葉で「普通の人たち」に語ることのできる、権威ある段階的なコミュニケーションチャンネルが消えてしまったこと。後者は、労組や政党、市民集会、大学講演会などのメディア装置が機能しなくなったことを意味する。代わりにソーシャルメディアが台頭し、参入障壁の低いインフルエンサーのエコシステムが定着したのは、いまさらいうまでもない。
したがって、重要なのは、同じことを言うにも、相手を見て相手のレベルに合わせて言葉や話法を変えることだ。共和党におけるそうした「有権者コミュケーションの達人」といえば、Wブッシュ時代に活躍したカール・ローブが有名だが、しかし、この「語法や話法の相手に合わせたファインチューニング」の歴史は、公民権運動の成功で政治的に打撃を受け、ウォーターゲート事件で政党の信頼を失った共和党が、1970年代後半から変わらず試みてきたことだ。郊外の白人中間層に向けて、始めは封書によるダイレクト・メール、ついでFMトークラジオ、ケーブルテレビ、そしてインターネットを通じて手掛けてきたものだった。そうしたメディア技術を駆使した有権者コミュニケーションの細かい手法を通じて、民主党に対する劣勢を少しずつ覆し、いまの多数派の共和党が実現した。
ちなみに、優勢であった頃から民主党は、党が確保した豊富な政治資金を使って、有権者のクラスターごとに微細な組織を作り、それらを中心に個別訪問をすることで党勢を保ってきた。そのため、ソーシャルメディア時代になり、コミュケーション上の戦略で後手に回っている。もちろん、途中、バラク・オバマのような天性の演説上手の政治家もいたが、それも個人的な技能にとどまった。
民主党は、ビル・クリントンがレーガンの敷いた「自活主義(いわゆる「ネオリベラリズム」)」を横取りし、インターネットブームで沸いたシリコンバレーと共闘することで、いつの間にか、エリートの、エリートによる、エリートのための政党になっていた。その結果、自分たちのリベラルな(意識高いWokeな)話法が誰にでもいつまでも通じるものと勘違いした。その政治基盤は、ソーシャルメディアの普及の波に乗り「逆張り」意識の追い風で大統領選に勝利したトランプによって覆された。問題はその事実にいまだに民主党の老いた政治家たちが気付いていないことだ。その結果、2024年大統領選では、クリプトブロのような若い成功者たちが大挙してトランプ支持に回った。トランプの共和党のほうが、21世紀の情報社会の「新しい現実」にビビッドに反応していたからだ。
今やテックライトの領袖であるマーク・アンドリーセンによれば、オバマ政権1期に大学生だった若者が社会人になった2013年を境に、意識高い系の、つまりは労働者としての権利意識が高く、社会貢献の重要性を(会社の成長を二の次にして)主張する新卒社員が増えたことで、シリコンバレーの起業家層が、それまでの民主党支持から共和党支持に少しずつ傾いていったという。この説明に説得力があるように感じてしまう。
ニクソンを崇めるヴァンス副大統領
かつてリーマン・ショック後のポピュリズムとして、共和党でTea Party Movementが起こったように、ワーキングクラスの自意識は「経済的に自立した独立者」のイメージにある。これはむしろ支持政党の左右を問わず、アメリカ人の意識の根底にあるものと思ってよい。それが、公式にリバタリアンを謳っていた共和党のほうが顕在化させるのが容易であり、したがって運動としても早く表面化したにすぎない。
Tea Party Movementでは、アメリカの既得権益を享受する支配層、いまでいう「ディープステイト」や「カテドラル」に対する不信感が増した。その意識高い系の政治的ポピュリズムが、いつの間にか、意識の低い寄合所帯なだけの大衆ポピュリズムに転じたのがMAGAのトランピズムだ。
そしてMAGAとなった時点で、「小さな政府」のリバタリアニズムは排除された。それは、選挙政治的にも、ポール・ライアン元下院議長を始めとしてTea Party一派の中堅政治家(過去20年くらいの間に台頭して消えたので老人政治家には該当者がいない)が根こそぎ議会から退席したことからも明らかだ。
その意味では、トランピズムは、「大きな政府」のリベラリズムを、民主党から簒奪するプロセスでもある。かつて、ビル・クリントンが、共和党からネオリベラリズムを奪ったことの30年越しの意趣返しだ。
それもあって、トランピズムの正統な後継者として次の大統領を狙うヴァンス副大統領は、意識的にレーガン=ブッシュ路線を腐しニクソンを崇めるような発言を繰り返している。EPA(環境省)を設立するなど、ニクソンは、最後のリベラルな共和党大統領と評されることが多いが、それはトランピズムが理念的に採用する「大きな政府」路線の先行例となる。
実際、政権党として長期に権力を保持しようと思うなら、いつまでもただ「逆張り」の「反対」ばかりしていてもしかたがない。あるタイミングで「正統派」の公共福祉政策──一般にそれは市民=有権者に向けた「バラマキ」と言われる──を実施しない限り、有権者にそっぽを向かれてしまう。トランプはこの有権者へのご褒美を、君たちこそが本物のアメリカ人だ!というイメージ(幻想)として供給することでなんとかやり過ごしてきた。だが、ポスト・トランプのトランピズム継承者たちには、より具体的な「経済的リターン」が必要になる。
それが「アフォーダビリティ」という、マムダニも強調する争点であり、中間選挙を控えて連邦議会が超党派でハウジング法案を通したのもそのような市民=有権者の要望に応えるためだった。だが、その法案をトランプは土壇場で署名を拒否した。トランプと上院共和党、それだけでなく下院共和党とも齟齬が生じ始めた部分だ。
それは今現在の話だが、2028年の大統領候補筆頭のヴァンスにとって、避けて通れないのが、普通の人びとの収入を減らす可能性の高いAIに対する政策だ。ピーター・ティールの支援を受けて副大統領にまで上り詰めたヴァンスの場合、シリコンバレーとMAGAの折衷案の作成が課題となる。どこまでいってもフリーハンドでやりたい放題を求めるシリコンバレー精神と、それでは結局Big AIの独占企業を新たに作るだけのことで、再分配だけでなく、起業家精神も損ねてしまうと危惧する考え方との間で、いかにしてバランスをとればいいのか、という問題だ。技術開発と雇用機会の両立をいかに目指すかだが、現実はかなり厳しい。
アメリカの本質は「技術革新資本主義」
目下のところ、ヴァンスの立場は、AIによる効率化は認めているが、完全自動化による雇用の消失は求めていないという至極当たり前のもの。あくまでも労働者の生産性向上のアシストとしてAIを捉えている。AIと人間、機械と人間の融和的関係性を理想とするため、夢想家と言われても仕方ない。
その点で、ヴァンスは「ジェファソニアン」、つまり、独立自営農民の存在がアメリカの政治・経済の自立に不可欠だと見たトーマス・ジェファーソンの立場の賛同者。少数企業による独占をよしとせず、それはAIについても変わらない。だから、Big Techには反対し警戒する。問題は、Big TechへのカウンターだったはずのAIスタートアップの3社(OpenAI、Anthropic、SpaceX)も年内に全て上場を終えた後、Big AIとして同じ独占者の道を辿ろうとしていることだ。となると、テクノロジー、とりわけネットワークされて実装されるテクノロジー商品が持つスケーラビリティに対して、成長の程度に応じた策の取り方が必要になるはずなのだが、その分野で先行するヨーロッパのやり方は嫌だというのがヴァンスの立場だ。
トランプは、建国250周年と、中間選挙における共和党の勝利──負ければ3度目の弾劾審議は避けられない──に目を向け、どうやら「アフォーダビリティ」の扱いは後継者にパスする模様だ。民主党からの「大きな政府」のリベラリズムの簒奪は先送りされている。
MAGAという「アメリカの再興」プロジェクトで気にかけるべきは、アメリカの本質として「技術革新資本主義」があることだ。アメリカの発展は常に新たな技術開発とともにあった。蒸気船も鉄道も電力も化学も19世紀のアメリカの発展には欠かせなかった。
技術革新、すなわちイノベーションが鍵になるのは、新たな技術によって自然の基盤を切り崩せばフロンティアを永久に創出できるから。その点でテクノロジーは、アメリカでは崇高な存在であり、だからこそ、新たな力あるテクノロジーの中に、神や霊性を見る気運が常に高まってしまう。アメリカ人にとってテクノロジーは常に新たな力を授ける驚異なのだ。
トランプと議会の対立で、250周年を機にアメリカとは何か?という議論が公の場で優雅になされる機会は奪われてしまった。それでも、このテクノロジーとアメリカの関わりについての議論は、未来のBig AIとなる3社が上場を遂げ、世界中の資産家・投資家から資金を調達し、それこそ軍事や宇宙開発も含む、国家規模の、いや超国家規模のビッグ・プロジェクトに着手し始めようとする今、執拗に追究すべき問いである。
アメリカとは何か? それはテクノロジーが地球全域を覆う今、アメリカ人だけでなく人類の未来を左右する大きな問いだ。その反省の機会を、アメリカ建国250周年の今、不用意に失うことは大きな損失なのである。
池田純一 | JUNICHI IKEDA
コンサルタント、Design Thinker。コロンビア大学大学院公共政策・経営学修了(MPA)、早稲田大学大学院理工学研究科修了(情報数理工学)。電通総研、電通を経て、メディアコミュニケーション分野を専門とする FERMAT Inc.を設立。2016年アメリカ大統領選を分析した『〈ポスト・トゥルース〉アメリカの誕生』のほか、『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』『デザインするテクノロジー』『ウェブ文明論』 『〈未来〉のつくり方』など著作多数。
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