『火垂るの墓』原作には“たった一文”のみのドロップ缶 物語の運命を握る「アイテム」に変わったワケとは?
ジブリ作品のひとつである『火垂るの墓』では「サクマ式ドロップス」が全編に渡り登場し、兄妹の悲劇を演出しています。しかし、原作小説でドロップが登場したのはたった一文だけです。原作の要素を膨らまして作品全体を彩るキーアイテムに成長させたのは高畑勲監督でした。そこには戦時下での壮絶な体験が色濃く反映されていたのです。
ドロップとその缶が節子の運命を象徴的に描く?

Netflixでの配信や終戦後80周年といった話題で注目を集めた高畑勲監督の『火垂るの墓』において、最も印象的なアイテムといえば、「サクマ式ドロップス」(以降「ドロップ缶」)の缶でしょう。実は原作においてドロップ缶の記述はごくわずかでしたが、高畑監督が自らの戦争体験を投影させることで、物語を象徴する重要なアイテムへと膨らませました。
野坂昭如先生による原作『アメリカひじき・火垂るの墓』でドロップ缶が登場したのは三宮駅(神戸市)で衰弱死した「清太」の遺体から駅員が缶を奪い、草むらへ投げ込むシーンでした。投げられたドロップ缶は蓋が外れ、こぼれ出した節子の白骨に驚いた蛍が、草むらから夜空に向かって一斉に舞いあがります。
このシーンは、アニメ映画にも反映されていますが、映画ではさらに多くのシーンでドロップ缶が登場しました。監督の死後に発見された創作ノートによると、特にドロップの演出へ力を入れていたことが分かっています。なぜ高畑監督は原作では1文しかなかった、ドロップ缶に注目したのでしょうか?
映画では幽霊になった清太の視点で回想から始まります。そのとなりにいる節子の手にはドロップ缶が握られていました。ひもじさから解放された死後の世界では、缶にはドロップがたくさん入っています。
物語は清太たちの生前に移ります。1945年6月5日神戸大空襲によって家と母を失った兄妹は叔母の家で暮らすことになりました。消失した家に埋められた甕(かめ)から、清太が発見したもの、それがサクマ式ドロップスでした。物資不足の戦時下においてドロップは贅沢品でしたが、まだ幼い節子をなだめるために一粒ずつ大切に与えるのです。
やがてドロップが底をつくと、清太は缶のなかに水を入れてドロップ水を作りました。節子は目を輝かせながら、そのドロップ水を飲みます。しかし、ドロップの切れ目が運の切れ目か、兄妹は叔母宅を出て防空壕でのふたりきりの生活へと追い詰められていきます。
防空壕での生活中、灯りがわりに蚊帳に入れた蛍の墓の脇にはドロップ缶の花立てがありました。そして、衰弱していく節子が、おはじきをドロップだと思い込んで口に含むシーンは、多くの観客の胸を締め付けたことでしょう。節子の死後、清太はその遺骨をドロップ缶に収めて旅立ちます。

●悲劇はここから…… 防空壕に移った兄妹はやっと自由を手にいれるものの……
そのなかでも、空き缶に入れた水を節子に飲ませる場面は、特に印象に残るシーンではないでしょうか。実は、この場面は高畑監督の実体験が反映されています。
2025年8月2日に放送された『火垂るの墓と高畑勲と7冊のノート』(Eテレ)で高畑監督の実姉の菅原五十鈴さんは、「ドロップ水をやった」ことを証言しています。
映画では節子は目を輝かせて飲みますが、実際のドロップ水は味が薄くて美味しくないようです。2017年7月14日放送の『ラジオ深夜便』(NHK)で高畑監督は「(ドロップ缶に水を入れると)美味しいものになるのではないかという期待を充分描いたつもりだが、実際には(美味しくなくて)幻滅も大きい。しかし、そういうものを大事にするくだりやお兄ちゃんの気遣い、それを一貫したシーンにしたかったので幻滅させたくなかった」と、描写の意図を説明しています。
そして、1945年6月29日の岡山空襲では約9万5000発の焼夷弾が投下されて、岡山市街地の63%を焼き、多くの人が亡くなりました。高畑監督の自宅は爆撃中心地から1キロ圏内で、当時9歳だった高畑監督は五十鈴さんとともに火の海になった街を逃げ惑ったそうです。
2015年6月29日の岡山市民会館で行われた「岡山市戦没者追悼式・平和講演会」で高畑監督は、岡山空襲を「人生最大の出来事だった」と語っています。映画で描かれた空襲の場面でも、街が鎮火しても木製の電信柱の上で燃え続ける変圧器、黒焦げになった焼死体、空襲後に上昇気流によって降る雨などのリアルな描写は、高畑監督が岡山空襲で目の当たりにした光景が反映されていたのでしょう。
実際に体験した人にしか分からない生々しさがあったからこそ『火垂るの墓』は長く見続けられる名作になったのではないでしょうか。
(LUIS FIELD)

