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源悦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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源悦
時代 平安時代前期
生誕 斉衡3年(856年[1]
死没 延長8年1月8日930年2月9日
官位 従三位参議
主君 光孝天皇宇多天皇醍醐天皇
氏族 嵯峨源氏
父母 父:源弘、母:阿保親王の娘
兄弟 同、撰、雙、、道、、愗、就、昭、近
不詳
沿、鑑
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源 悦(みなもと の よろこぶ)は、平安時代前期の公卿嵯峨源氏大納言源弘の子。官位従三位参議

経歴

光孝朝元慶8年(884年越前介任官衛門大尉右馬助を経て、宇多朝の寛平6年(894年従五位下叙爵。翌寛平7年(895年備前権介に転じると、昌泰2年(899年出羽守、昌泰4年(901年越前守と、宇多朝後半から醍醐朝初頭にかけて地方官を歴任した。この間の昌泰元年(898年)治国の功労により従五位上に叙されている。

延喜8年(908年)正月に左少弁兼春宮亮と京官に遷ると、同年8月右中弁、延喜9年(909年正五位下、延喜10年(910年)左中弁と、醍醐朝中期は弁官を務めながら順調に昇進した。延喜11年(911年)には従四位下大宰大弐に叙任されるが、赴任しなかったため官位を剥奪される。延喜13年(913年)本位に復すと同時に美濃権守に任ぜられたがまたも赴任しなかった。延喜19年(919年)従四位上・参議に叙任され公卿に列す。

議政官として修理大夫宮内卿・左大弁を兼ね、この間の延長4年(926年正四位下、延長6年(928年従三位に昇叙される。醍醐朝末の延長8年(930年)正月8日薨去享年は明らかではないが、81[2]・75[3]・67[4]の諸説がある。最終官位は参議従三位行伊予権守。

官歴

公卿補任』による。

系譜

  • 父:源弘
  • 母:阿保親王の娘
  • 生母不詳の子女
    • 男子:源沿
    • 男子:源鑑

脚注

  1. ^ 『公卿補任』の享年75から逆算。
  2. ^ 日本紀略延長8年正月8日条
  3. ^ 公卿補任
  4. ^ 一代要記
  5. ^ 或いは美濃守。
  6. ^ 或いは30日

参考文献