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源冷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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源冷
時代 平安時代初期 - 前期
生誕 承和2年(835年
死没 寛平2年2月25日890年3月19日
官位 従三位参議
主君 文徳天皇清和天皇陽成天皇光孝天皇宇多天皇
氏族 仁明源氏
父母 父:仁明天皇、母:不詳
兄弟 道康親王宗康親王時康親王人康親王本康親王国康親王常康親王貞登成康親王、新子内親王、親子内親王、平子内親王、柔子内親王、眞子内親王、重子内親王、久子内親王、時子内親王高子内親王
不詳
、備
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源 冷(みなもと の すずし)は、平安時代初期から前期にかけての公卿仁明天皇の皇子。官位従三位参議

経歴

承和15年(848年本康親王と共に清涼殿元服嘉祥2年(849年従四位上に直叙され、翌嘉祥3年(850年)讃岐守に任ぜられる。

仁寿4年(854年右馬頭に任ぜられて京官に復す。しかし、斉衡3年(856年但馬守に遷ると、斉衡4年(857年近江守貞観3年(861年伊予守、貞観6年(864年播磨権守、貞観10年(868年相模権守と、文徳朝末から清和朝前半にかけて約15年の長きに亘って地方官を歴任し、貞観13年(871年)には正四位下に昇叙された。

貞観15年(873年宮内卿に任ぜられて京官に復すと、貞観19年(877年左兵衛督兼帯を経て、陽成朝元慶6年(882年)参議に任ぜられ公卿に列す。議政官として宮内卿・左右兵衛督を兼帯し、光孝朝仁和3年(887年)には従三位に叙されている。

宇多朝の寛平2年(890年)2月25日薨去享年56。最終官位は参議従三位左衛門督。

官歴

注釈のないものは『六国史』による。

系譜

尊卑分脈』による。

  • 父:仁明天皇
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
  • 生母不明の子女
    • 男子:源通
    • 男子:源備

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『公卿補任』

出典