水平社宣言
水平社宣言(すいへいしゃせんげん)は、全国水平社創立大会で採択された宣言文[1]。全国水平社創立宣言とも呼ばれる[2]。
1922年、全国水平社創立大会が開かれ、水平社宣言は西光万吉が起草し平野小剣が添削し[3]、駒井喜作が読み上げた[4]。
本文
全󠄁國 に散在する吾が特殊部落民よ團結 せよ。長い間
虐󠄁 められて來 た兄弟よ、過󠄁去 半󠄁世紀︀間 に種々 なる方法と、多くの人々とによつてなされた吾等 の爲 めの運󠄁動 が、何等 の有難︀い効果を齎 らさなかつた事實 は、夫等 のすべてが吾々によつて、又他の人々によつて每 に人間を冐瀆󠄂 されてゐた罰であつたのだ。そしてこれ等 の人間を勦 るかの如 き運󠄁動は、かへつて多くの兄弟を墮落させた事を想へば、此際 吾等 の中より人間を尊󠄁敬 する事によつて自ら解放せんとする者の集團運󠄁動 を起󠄃 せるは、寧︀ ろ必然である。兄弟よ、 吾々の
祖︀先 は自由、平󠄁等 の渴仰者︀ であり、實行者︀ であった。陋劣 なる階級政策の犧牲者︀ であり男らしき產業的殉敎者︀ であつたのだ。ケモノの皮剝ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剝取られ、ケモノの心臟を裂く代價 として、暖󠄁 い人間の心臟 を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢 のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸 れずにあつた。そうだ、そして吾々は、この血を享 けて人間が神︀ にかわらうとする時代にあうたのだ。犧牲者︀ がその烙印 を投げ返󠄁 す時が來たのだ。殉敎者︀ が、その荆冠 を祝︀福︀ される時が來 たのだ。吾々がエタである事を誇り得る時が
來 たのだ。吾々は、かならず卑屈なる言葉と
怯懦 なる行爲 によつて、祖︀先 を辱しめ、人間を冐瀆󠄂 してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何 んなに冷たいか、人間を勦 はる事が何 んであるかをよく知つてゐる吾々は、心から人生の𤍠[注釈 1]と光を願求禮讃 するものである。
水平󠄁社 は、かくして生れた。人の世に𤍠[注釈 1]あれ、
人間 に光あれ。大正十一年三月
1922年3月3日、京都市・岡崎公会堂にて宣言
特徴
- 米騒動後の同情融和思想の本質が人間の冒涜であることを、両義的字句の「勦(いたわる。 旧かな遣い : いたはる)」を二ヶ所用いて表現した。同時に「勦」の送り仮名に「抜け字」(脱字)を用いて「る」とし、もう一つには「はる」と表示した。これは起草者西光万吉が人権宣言の未完を通じて、人権確立の困難性を示唆しようとしたものである。なお、西光は美術家でもあり、当時の外来の芸術思潮として受容された「ドイツ表現主義」の影響を受けて、内面からの表現を重視した。反差別に対して集団運動の必然性を説き、根元的な人間の尊厳を高唱した。
余話
- 米国、ロシア、英国、フランス等においては、『日本で初めての本来民衆による解放運動が起こった』との旨で、トップニュースで伝えられたという。
- 締めの一文である『人の世に熱あれ、人間に光あれ』は、人権標語などにたびたび用いられ、広く認知されている。
- 水平社創立、水平社宣言発表までを描いたドラマ「3月3日の風」がある。
- 締めくくりの言葉にある「人間」を(じんかん)と読むのは仏教由来である。「人に個別に光があたるんじゃなくて、人と人の間の万物すべてに光があたることで、人も物も平等になるという意味」とのこと。初出は『部落解放』1995年390号(解放出版社・1995年6月10日発行)にある永六輔のインタビュー記事「ぼくが出会った西光さん」である。記事では、浄土真宗の家に生まれた永が西光に「『人間』は『にんげん』と読むんじゃなくて、『じんかん』と読むんじゃないんですか」と質問し、西光は「いいんです、『にんげん』で。でも、ほんとうは『じんかん』なんです」と回答している。
- 一方、全国水平社が発行した『水平』第一巻創立大会号(水平出版部・1922年7月発行)の「全國水平社創立大會記」では、水平社宣言が振り仮名つきで掲載されており、本文では「人間(にんげん)」と読んでいる。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 馬原鉄男『新版 水平運動の歴史』部落問題研究所、1992年4月。ISBN 4-8298-2039-X。
- 朝治武『差別と反逆 平野小剣の生涯』筑摩書房、2013年1月。ISBN 978-4-480-88529-6。