「1人殺せば犯罪者、100万人殺せば英雄」とは昔から言われる皮肉だが、罪の大きさに違いなどあるわけがない。まして、「見知らぬ土地で暴れたい」という幼稚な願望で人を殺すなどあってはならない。
知識も覚悟もないのに
「『国民国家の解体』といったイスラム国の理念に賛同する人々は、すでに世界16億のムスリムのうちの少なからぬ数にのぼり、国際社会が無視することのできないほどの政治勢力を形成しています。そうである以上、その政治的意見が何を意味するのか、何を目指しているのか、これから世界にどのような影響を及ぼすのかをまず『訊ねる』というのが常識的な態度でしょう」
こう語るのは、神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏だ。現在、シリアとイラクの広範囲で勢力を拡大しているイスラム国。彼らは自分たちの戦いを「世界を救うための聖戦」と主張するが、アメリカをはじめ多くの国家は「虐殺」「侵略」そして「テロ」と断じ、すでに空爆も行われ多くの市民が巻き添えとなっている。
これ以上悲劇を拡大させないためにも、内田氏はこう提言する。
「われわれの社会では、誰でも己の政治的信条を表明する言論の自由があります。同意する人は同意するし、反対する人は反対する。言論の自由というのは、そのようなさまざまな意見が行き交った結果として、落ち着くところに話が落ち着くはずだという『言論の場の判定力への信頼』を前提にしています。そうである以上、どのような『驚愕すべき政治的意見』であっても、その表明を強権的に禁圧すべきではない。『聞いたことのない理説なので、耳を貸さない』というのは単なる知性の停止に過ぎません」
今月6日、「26歳の大学生がイスラム国へ渡航し、兵士となることを企てていた」というニュースが駆け巡り、日本中に衝撃を与えた。だが時間が経ち、事件の全容が明らかになるにつれて、世間もこの一件をどう扱ったらよいのか戸惑いを隠せなくなっている。
「第三次世界大戦のことしか興味が無い」
「普段から別に死んでもいいとは思っていた」
「死にたいにゃんinイスラーム国」
これは、問題となった大学生が以前インターネット上に書き込んでいた発言である。この大学生は「もしシリアで戦うことになれば、敵を殺すことになるかもしれない」という認識をほのめかしていたが、同時に現実の世の中のことを指して「フィクション」と称してもいた。
イスラム国が掲げる理念の背景には、1300年以上のイスラム教の伝統や西洋文明との対立の歴史が横たわっている。しかし、今回騒動を起こした若者たちは、どこをどう見てもそんな知識や覚悟を身に付けているようには見えない。
「今回の大学生を含め、日本からイスラム過激派に参加しようとする若者には、宗教的な動機も、政治的な動機もない。欧米からイスラム国に行く若者の多くがムスリムや移民で、米軍の空爆などに対して義憤にかられていることとは大きな違いがあります」(中東・イスラム学の専門家で東京大学先端科学技術研究センター准教授の池内恵氏)
世界情勢や歴史に対する理解もなく、義憤にかられてでも、また「誰かの役に立ちたい」という思いからでもない。ただ「日本で暮らしていてもつまらない」という程度の理由で、イスラム国に行ってみる—。件の大学生の言動は、あまりにも軽く、浅く、子供っぽい。
日本の法律で裁けるのか
今回の事件に際して、NHKをはじめ大手マスコミがこぞってインタビューを行ったのが、昨年シリアに渡航し、イスラム過激派武装組織に参加して戦ったのち、ケガのため帰国したという同じく26歳の若者だ。彼の言う「動機」も、驚くほど軽薄なものだった。
「最高に幸せになるためには何が必要であり、何が必要でないのか?一度根底に立ち返って考えたい。(中略)あえてリスクを冒しながらも自らの手で理想的な選択をしたい」(本人のブログより)
「ただ力試しをしたかった」
カッコつけたり、大げさぶってはいるが、彼の言うことを噛み砕くとこういうことだ。人生うまくいかない。自分のことをスゴイと褒めてくれる人もいない。このさい、イスラム国にでも入って暴れ回りたい。人を殺すことになっても構わない—。
しかし、現実の厳しさはそのような子供じみた「ファンタジー」と比べるべくもない。イスラム国はこれまで何回も、欧米人のジャーナリストなどを人質にとり、見せしめとして斬首する映像を公開している。流暢な英語を話すメンバーなど、人質と同郷とみられる人物に実行犯を担わせていることも判明し、全世界に衝撃が走った。
日本人では、今年8月にシリアで行方不明となった湯川遥菜さんが、現在もイスラム国に捕らえられているとみられる。もし日本人がイスラム国のメンバーとなった場合には、人質殺害の実行犯には、その日本人メンバーが選ばれる可能性が高い。自分がその当事者になったとき、彼らは耐えられるのか。そして彼らは、一体どうやって責任をとるのか。精神科医の香山リカ氏が言う。
「今回事情聴取を受けた大学生は、高校を卒業し、国立大学に通っていたわけですから、学力は高く、社会性もある程度保たれているはずで、本人が主張するほど特殊なケースとは考えづらい。彼がインターネット上で『死にたい』と何度も書き込んでいるのも、死を恐れないということではなく『気付いてほしい』『分かってほしい』という思いの表れでしょう。
今の日本は、『好きなことをやらないと意味がない』『組織の歯車になってはつまらない』という風潮が定着してしまっています。若者は『注目されなければ生まれた意味がない』という一種の強迫観念に苛まれているのかもしれません」
大人から見れば結局、「大それたことをやってみたい」「オレを認めてほしい」という幼稚な自己顕示欲と承認欲求が動機だったことは隠しようもない。「自分探し」「自分の可能性を試す」「自分の頭で考える」と言えば何でも許されると思っているのかもしれないが、それは一言で言えばただの「甘え」である。銃で他人の頭を撃ちぬき、ナイフで首を切り落とすといった行為を、彼らが現実のものとして捉えていたとは到底思えない。
そもそも、いくら海外の「無法地帯」であろうと殺人は殺人である。「これは戦闘だ」と言い張ったところで、まして「自己実現」などという愚にもつかない動機で人を殺した人物など、厳しく罰せられて当然のはずだろう。刑事事件に詳しい弁護士の田沢剛氏が言う。
「刑法3条には『国外犯』という規定があり、日本人が外国で罪を犯した場合にはそれが適用され、国内と同様の法律で裁かれることになります。戦闘で殺人や放火などの行為を行えば、法律の上では処罰を受けてもおかしくないということです」
たとえそこが戦場であろうが、日本の法と倫理のもとでは殺人など決して許されない。今後、浅薄な若者たちがこれ以上増長しないようにするためにも、法律の厳格な運用が望まれるところだ。
ところが実際には、これまでにも海外で戦闘行為に参加したり、兵士となって少なからぬ数の人を殺害した日本人も存在するにもかかわらず、立件に至ったことはないのだという。つまり現状では、たとえ人を殺しても「戦場なら無罪」、事実上のお咎めなしという不条理がまかり通るのである。
「海外での活動経験がある傭兵などが立件されたケースは、少なくとも私は聞いたことがありません。現実的には、警察が現地まで出向いて捜査を行い、証拠を集めることができないのです」(前出・田沢氏)
日本から出すな
欧米人の傭兵には、かつて戦った敵国の政府や、場合によっては自国の政府に命を狙われたり指名手配され、追いつめられて殺害された者もいる。一方で、日本人の傭兵にはそうした前例がほとんどない。今回、大学生らが「私戦予備」という耳慣れない容疑で聴取を受けたのも、それ以外に適用できそうな法律がなかったということの証だ。
日本人の若者が「自分探し」と称してイスラム国に参加し、罪もない人を殺したと海外メディアで報じられる。日本政府も警察も右往左往し、何の打つ手もない。何食わぬ顔で帰国したその若者は事情聴取を受けるものの、証拠もないためすぐ釈放。ただただ世界中の非難ばかりが日本国民に殺到する—こうした悪夢のような事態が現実になるのも、もはや時間の問題かもしれない。
「これまで海外で戦闘に加わってきた日本人には、バックパッカーのような人物もいました。現在のシリアの場合、トルコを経由すれば容易に国境を越えられるので、参加のハードルが低い。すでに、密かにシリア入りしている若者もいるかもしれません」(軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏)
ただ、そんな軽薄な若者が本当の戦場で命のやり取りに臨むことができるかどうかという話になると、甚だ疑問だ。かつてアフガン戦争やミャンマーの民族独立運動、ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦に参加したことがある元自衛官の高部正樹氏は、「『極限状況に身を置きたい』などという軽い動機で戦地に行けば、絶対に後悔する」として、こう続ける。
「いくら兵士とはいっても、相手に向かって銃を撃つことに罪悪感がない人などいません。『自分の後ろに守るべき人がいる』と思うからこそ、やっていけるんです。
私も若いときには、なぜ戦場に行くのかと聞かれて『ただ戦いたかった』と答えていたことがありました。でも本心を言えば、『他の誰かを命をかけて守りたい』と考えて自衛隊に入り、『途上国の人々を理不尽な侵略から守りたい』と考えて海外の紛争に参加した。当時、西側諸国の仮想敵国とされていたソ連が相手であるという点も大きな動機でした。
何の大義や信じるものもなく、ただ『危険を味わいたい』という人は、戦地で信頼がおけません。そんな人物と一緒に戦いたいという兵士も、現地にはいないでしょう」
覚悟も信念も持たず戦いの最前線に出たところで、人質にされるのがオチだ。そんな若者を、決して日本から出してはならない。
「週刊現代」2014年11月1日号より