「秀才」と呼ばれる人たちがいる。子供の頃から勉強ができて神童と呼ばれた人たちだ。だが、進学するに従って自らの能力が飛び抜けているわけではないことを思い知らされる。世の中には秀才たちが脱帽する「大秀才」が確かにいるのだ。そんな超人たちを、エピソードや本人たちの肉声とともに紹介していこう---。
共通一次はもちろん全国1位
今年で30年間連続東大合格者数トップを誇る文句なしの超名門校、開成中学・高校。1981年、岩倉正和氏('62年生まれ)はその開成を卒業し、東京大学文科Ⅰ類に現役で合格を果たした。
全国から集う秀才集団の中にあっても岩倉氏の優秀さは図抜けており、法学部に進んで3年の時に司法試験を突破。同学年ではただ一人の快挙だった。
翌年には国家公務員Ⅰ種試験にも合格して大蔵省(現財務省)の内定も得ていたが、弁護士の道を歩み、みずほホールディングスの設立などを手がける渉外弁護士として、今では日本で最も稼ぐ弁護士の一人と呼ばれている。ちなみに、岩倉氏は明治の元勲・岩倉具視の子孫である。
この名家出身の超秀才・岩倉氏が、「こいつにはとても敵わない」と心の底から驚いた人物がいる。東大法学部の同級生だった和仁陽氏だ。
「とにかく圧倒的にすごかった。大学時代からラテン語をはじめ8ヵ国語ができた。和仁と付き合っていると、彼と競っても全く意味がない、じゃあ自分の良い所は何だろうと考えるようになる。和仁は最初から学者になると決めていた。僕も、教授から大学に残らないかと言われていたんですが、和仁のような人間がいるんじゃ・・・・・・。それで弁護士になることにしたんです」
和仁氏は当時の共通一次試験では1000点満点中981点をとって、当然ながら全国トップ。東大時代には教授をして、「世の中には3種類の人間がいる。天才、バカ、そして和仁君だ」と言わしめたというエピソードもある。
和仁氏に圧倒されたのは岩倉氏だけではない。和仁氏と出会ったせいで人生が変わった、と語る人がいる。脳科学者の茂木健一郎氏('62年生まれ)だ。
実は茂木氏と和仁氏は、毎年50人以上の東大合格者を生み出す名門校の一つ、東京学芸大学附属高校の同級生。茂木氏によれば、和仁氏は高校時代からドイツ語やラテン語を学び、ドイツ語を日本の古文で訳してみせるような知性の持ち主だったという。
「音楽にも造詣が深かった。高校の学園祭でウェーバーのオペラ『魔弾の射手』を上演したんですが、演出と演技指導、さらにはドイツ語の歌詞を訳したのも和仁でした。しかもその歌詞は、ドイツ語では脚韻を踏んでいるので、日本語にするにあたっては頭韻を踏み、なおかつちゃんと歌えるように構成もしてあった。そんな芸当を和仁は、高校生でやってのけたんです」
現在、和仁氏は東京大学大学院法学政治学研究科准教授として日本近代法制史を研究し、大秀才ぞろいの東大法学部の中でも、最高の知性と評されている。茂木氏が続ける。
「私はこれまで、ノーベル賞受賞者に何人も会ってきましたが、和仁ほど頭のいい人間にはまだお目にかかったことがない。彼に比べると、どんな学者も知性が物足りなく思える。本当に、どうして自分は和仁と出会ってしまったんだろうと思うくらい、彼と知りあってしまったことは私にとって一種のPTSD(心的外傷後ストレス障害)ですよ」
名門・麻布で別格だった頭脳
今年も東大に79人の合格者を送り込んだ、開成と並ぶ名門・麻布学園(中学・高校)。教師たちに話を聞くと、
「ノートに落書きをしていたので何を書いているのか尋ねると、ロケットの弾道を計算していた」
「難問ぞろいの東大入試の数学で満点をとったばかりでなく、『いやぁ、今年の東大数学は良問でしたよ』などと批評していた」
「彼は『卓越』(東大法学部での成績上位者表彰制度)で、3つの研究室から誘われていた」
といった、およそ平凡な学校ではお目にかかることのない秀才エピソードが続々と登場した。しかし、そんな中でも古株の教員の間で別格の秀才として記憶に刻まれている人物がいる。
それが、河東泰之氏('62年生まれ)だ。東大理学部数学科に進学。同大学院を経て数学者の道を歩み、現在、東大大学院数理科学研究科の教授をしている数学者である。'02年に40歳未満の優れた数学者に与えられる日本数学会賞春季賞を受賞している。
何しろ、麻布中学時代すでに『超積と超準解析』『位相と関数解析』といった数学の専門書を読んでいたというから尋常ではない。河東氏本人が言う。
「大学院レベルで読む本ですね。英書の専門書も読んでいました。数学で使われる英語はだいたい決まっていますから、それほど難しくないんです」
驚くべきことに河東氏は、中学1年の時点ですでに東大入試の数学の問題を解いていた。
「中学の先生の紹介で、東大の教授が自主的にやっていた数学のセミナーに出席させてもらっていましたね。正直なところ、学校の数学の授業はほとんど聞いていなかった。たまに先生が黒板に間違った数式を書いたりすると、『それ、違います』なんて言ってましたから、先生も嫌だったと思いますよ」
ちなみに、現在の専門は「作用素環論」。説明を聞いてもチンプンカンの数学理論だが、「東大で誰もやっていなかったから」というのが、これを専門にした理由だという。
実を言うと、この河東氏は、冒頭で紹介した岩倉氏の小学生時代からの知り合いだ。受験塾「四谷大塚」で一緒のクラスにいて、「彼は当時から算数が抜群にできた。算数のテストで彼に勝つのが、僕らの目標だったんです」と岩倉氏は言う。
河東氏に岩倉氏、先に紹介した和仁氏、そして茂木氏、同年代の秀才たちは、どこかでつながっているものなのだろうか。
灘とラ・サール「伝説の大秀才」
岩倉氏の後輩、開成中学・高校から東大法学部を経て大蔵省に入省し、ハーバード大学にも留学したという、これまた超エリート人生を歩んでいるのが、小林鷹之氏('74年生まれ)だ。
小林氏によれば、「開成、東大で、信じられないくらいの秀才に会ったという記憶はない」そうだが、秀才ひしめく「霞が関」の中でも「ザ・霞が関」である大蔵省に入ると、「さすがにとんでもない人たちがいた」という。
「官庁回りで大蔵省の方と話をしてみると、とてつもなく頭の回転が早く、切れ味が鋭かった。こういう優秀な人たちと仕事をして大きく成長したいと思ったのも、大蔵省を選んだ理由の一つでした。
入省してすごいと思ったのは、私がまだ20代の頃の上司です。彼は私が資料を何度読んでもなかなか頭に入ってこない案件でも、一度部下の説明を聞くと、即座に自分の頭の中で整理し、ものの見事に自分の言葉で上司に説明してしまう。
記憶力も抜群。部下の発言も事細かに覚えていて、例えば私が3ヵ月前に言ったことと少しでも異なる発言をしようものなら、その時との論理矛盾を完膚なきまでに突いてくる。彼に説明するときは、いつも冷や汗モノでした(笑)。
彼は常に完全に理論武装していて、上司から質問されて答えに詰まる姿や議論で負ける姿を見たことがなかったですね」
なお、小林氏は'10年に財務省を辞職し、今は自民党千葉県第2選挙区支部長として解散総選挙を待つ身だ。
名門校と言えば、忘れてはならないのが関西の雄、灘中学・高校だ。
灘高で40年近く国語を教えている成田雅英教頭は、高校3年間の読書量を積算して競う「読書マラソン」で、とてつもない記録を打ち立てた生徒に舌をまいた。「マラソン」にちなんで3年間の目標が4万2195ページ、実際はほとんどの生徒が何千ページかで終わるところ、30万ページも読破した生徒がいたのだ。
「彼、岡田康志くんはとにかく優秀だった。彼は理系で、高校2年のとき東大模試の理Ⅲ志望のなかで全国1位をとってしまった。このあと1年どうするんだ、と話したのを覚えていますよ」(成田教頭)
その灘高きっての秀才児と同級だった、東京大学医科学研究所特任教授の上昌広氏('68年生まれ)はこう思い出を語ってくれた。
「岡田くんは受験勉強なんかしていませんでしたね。決してガリ勉ではなく、いつも余裕があった。でも、僕ら同級生の中でとび抜けて勉強ができた。大学の教科書のようなものを読み、ファインマン物理や、受験と関係のない数学の勉強なんかをしていました」
「だから、共通一次試験模試のような簡単なテストではよく点を落としてましたね。でも東大模試のような難問の試験では、2位に100点くらいの差をつけてダン然トップに立つ。彼はまちがいなく灘高伝説のひとりです」
岡田氏は現在、東京大学で医学の研究を続けている。海外の学術誌『サイエンス』や『ネイチャー』にも論文がとりあげられ、研究者としての実績を積み上げているという。
さて、秀才のわかりやすい基準といえば、やはり「試験の点数」だろう。大学受験生がうける全国模試で上位「常連」の大秀才たち。順位表で名前を並べた常連たちが、東大で「再会」をはたすこともあるという。
宮崎県の進学校、宮崎大宮高校出身の、社民党の福島瑞穂党首('55年生まれ)。全国模試で1位をとった経験をもつ才女である福島氏も、そんな「再会」をはたした一人だ。
「大学に入ったらクラスにすごい女性がいて。高校時代、全国模試ではいつも上位に入ってその名を轟かせていましたから、私も名前だけは知っていたのですが・・・・・・」
「決して人の顔色をうかがったり、媚びたりしないし、一切の偏見を持たない。手垢にまみれていない、自分の言葉でパシッという。平塚らいてう先生のような人だと思いました」
「あるとき彼女が私のことを『未知数の女の子』と評してくれたことがあって、それがうれしくて、うれしくて」
若き日の福島党首を喜ばせたその才媛は、当時まだ女性は数少なかった、中央省庁でのキャリア官僚の道を進んだ。
九州の雄、ラ・サール中学・高校で30年以上にわたって英語を教えている栫井秀雲教諭は、ある生徒のことが忘れられないという。
「竹内隆正くんという生徒がいて、彼は全校模試で1位もとったし、上位の常連だった。入学した東大でも、『竹内はどいつだ』と噂になっていたらしいですよ。
彼はセンター試験で800点満点のところ797点を取ったんです。世界史の試験で一問だけ間違えたと言っていましたが、もちろん全国で1番でした。いつもニコニコしていて、クラスでも慕われる存在でしたね。ガツガツするタイプではなく、勉強は家で2時間くらいしかやっていないようでしたね。やはり、理解力が優れていたんでしょう」
そんな竹内氏のセンター試験の結果を聞いたときはさすがに栫井教諭も驚き、どうしてそんな点がとれるのか尋ねてみたという。本人はケロリとして、
「そんなに難しいことじゃないです。余計な先入観をもたずに、問題にそのまま従えば解けます」
と言ったのを教諭は覚えている。
その竹内氏は東大理科Ⅲ類に現役合格して医学部に進み、現在は国立の研究所で基礎医療の研究に従事している。
ところで、「秀才」といえば「努力の人」というイメージが強い。ここで、その究極系とも言える大秀才を紹介しよう。弁護士の山口真由氏('83年生まれ)だ。
東大首席卒業
山口氏は札幌の出身。学習塾とはまったく縁がなかったが、とにかく成績は常にトップで、高校も北海道でナンバーワンの札幌南に進むつもりだった。
しかし、中学3年生の時にたまたま受けた模試で全国1位に。ものは試しと全国クラスの名門校・筑波大附属を受験したところ、合格。せっかくなので、と進学した。ところが入学早々、「田舎者」とからかわれたことで発奮し、そこから「努力」に火がついたという。
大学は東大法学部。3年の時に司法試験に合格、翌年には国家公務員Ⅰ種にも合格。学業成績は東大4年間を通じてオール優で、4年のときに「法学部における成績優秀者」として総長賞を受け、'06年に首席で卒業すると、財務省に入省。主税局勤務ののち、'08年に退職し、翌年、弁護士登録して現在にいたる---。
ため息も涸れそうなこの経歴の持ち主に会ってみると、カラリと明るいスレンダー美人であった。
「私の勉強法はこうです。たとえば、教科書や副読本などは7回読みます。7回読めば、だいたい覚えられるものです。ことさら暗記しようとせずに、7回読めば、最後は本を見なくても思考をたどれるようになります。
ただし、司法試験の勉強では40回は読みました。勉強というより精神修養ですね。一日に19時間半勉強しましたから。睡眠は3時間。食事は一回20分が3回で、入浴が30分。洗面器に水を張っておいて、眠くなると足を入れて眠気を吹き飛ばすんです。幻聴を経験したのもそのころでした。努力では誰にも負けません」
確かに、ここまで努力のできる人はざらにはいない。「努力」にも、才能があるということか。そんな山口氏も一目置く人物がいたという。
「高校のクラスメートだった岡林美紗子さんという女性です。全然勉強しているようには見えないのに、数学で解けない問題はありませんでした。エリートコースを歩もうとか、人に評価されようとか、少しも考えない。他人をライバル視することもない。私みたいに『秀才でいなければ』というしがらみにとらわれてなくて、その自由な精神に憧れていましたね」
岡林氏は、現在は研修医として都内の病院で多忙な日々を送っている。
ところで、山口弁護士が卒業した筑波大附属がまだ東京教育大附属高校と呼ばれていた時代の卒業生に、鳩山邦夫元法相('48年生まれ)がいる。この鳩山氏もまた在学中、同校きっての秀才だった。当然のように東大法学部に進学し、しかも首席で卒業した鳩山氏によれば、
「私は高校時代、駿台予備校の模試を5回受けましたが、1回目は600番くらいで、3回目が105番で、4回目に60番になり、5回目に1番になったんです。最近のことは知りませんが、かつて現役生で全国模試の1番を取ったのは、私と、高校の後輩である片山さつきくらいです」
実際、駿台模試初の現役生トップとして、週刊誌にも取り上げられたという。
その鳩山氏、3年生のときに3回実施された校内模試も常にトップ・・・・・・のはずだったが、一度だけその座を奪われたことがあるという。このとき鳩山氏を引きずりおろしたのが、元財務官僚で弁護士の志賀櫻氏('49年生まれ)である。
「彼は博覧強記のうえにスポーツ万能。ひとりの人間として、とても敵わないと思いましたね。彼は古典文学にやたら詳しくて、文化祭の出し物で山上憶良の貧窮問答歌の替え歌なんかをつくってましたね。それを古文の教師が苦い顔をしてじっと見ていたのを覚えてますよ」(鳩山氏)
「東大から大蔵省に入り、当然、事務次官になるだろうと思っていたけれど、途中で退官して弁護士になった。あのくらい優秀だと、役所ではかえってダメなのかもしれない」(鳩山氏)
大蔵事務次官だった鳩山威一郎氏を父に持つ邦夫氏に、そうまで言わせる人物。その志賀氏に話を聞いたところ、「貧窮問答歌ではなく、二条河原落書の替え歌でしたね。『このごろ附属に流行るもの~』とやったんじゃなかったかな」とにこやかに語ってくれた。
鳩山氏の話にも出てきた、片山さつき参議院議員('59年生まれ)も伝説の持ち主だ。なんと高校3年生の最初に受けた全国模試で、1位の座に。代々木ゼミナールの全国模試で、現役の女子学生がトップにたったのは初めてのことだった。その後、東大法学部に進み、大蔵省へ入省する。
「サッチャー首相を見て、女性でも国のトップになれるんだなと思ったんです。それで、政治家よりも権力を持っていた大蔵省に入って、ど真ん中で権力行政をやろうと考えました」
「大蔵省にはカミソリみたいに頭が切れる人がたくさんいましたね。頭のよい人たちの集団だから、女性であろうと、実力があれば認めてくれた。大蔵省以外の役所だったら、逆に潰されていたかも知れません」
鳩山邦夫氏の兄で、元総理の由紀夫氏も東大工学部卒の秀才。出身校は都立の小石川高校だ。政治家では小沢一郎氏や社会党の故・上田哲氏などを輩出した名門高校だが、ここの卒業生にもすごい秀才がいる。なにしろテストで満点以外とった記憶がないという。元財務官僚で経済学者の高橋洋一氏('55年生まれ)だ。
有名な「模試荒らし」
本人によると、高校1年のときから受験生用の模試を受け、毎回ほとんどトップの成績。当時、トップになると図書券がもらえたため、受験料を払っても充分な小遣いになった。
高橋氏からすれば、「リターンが確実な投資」だったのだ。そんなことが続いて、いつしか「模試荒らし」呼ばわりされるようになり、やむなく偽名で模試を受けたこともあったという。
学校の授業では、とくに数学はできすぎて教師から煙たがられた。
「授業が簡単すぎてチャチャを入れるものだから、お灸を据えてやろうと思ったんでしょうね。先生が黒板に大学院レベルの問題を書いて、私に『これを解いてみろ』と言ったんです。
その問題を見てすぐに解答がわかったので立ち上がったんですが、黒板にたどり着くまでに、これにちょっと手を加えたらもっとおもしろい問題になることに気づいた。それで解答を書いたあとに、その思いついた改編問題を黒板に書いたら先生が解けなかった。
そんなことがあって、おまえはもう数学の授業には出なくていいと言われましてね。以後、出席を免除されたんです」(高橋氏)
東大理Ⅰに入学して数学科に進んだ後も高橋氏を驚かすような秀才は見当たらなかったが、大蔵省(当時)時代に、ひとりだけ「あ、これは」と思う人がいた。
「東大首席卒業で、司法試験、国家公務員上級試験ともにトップ合格で『三冠王』といわれた角谷正彦さんとは波長が合いました。彼は資料を読むのがものすごく速くて、余計な説明を嫌った。説明よりも図表をつけろ、という人でした」
角谷氏の霞が関での最終ポストは国税庁長官。前出の志賀氏の最終ポストは東京税関長だ。頭が切れすぎると事務次官にはなれないのかもしれない。
脳のリミッターが外れてる
官僚の世界に折り紙付きの秀才はいても、何事かに突出したような天賦の才能の持ち主は馴染まない。そういう人物がいかにもいそうなのは、たとえば将棋界だが、
「いや、将棋の世界は世間で思われているほど才能は関係ないんですよ」
そう語るのは、広島県有数の進学校、修道高校から東京大学に進み、東大在学中にプロデビュー、史上初の東大生棋士として注目された片上大輔六段('81年生まれ)だ。
「たとえばオリンピックに出場するアスリートは20代でピークを迎えますけど、将棋は70歳をすぎても強い人は強い。つまり道のりがすごく長いので、持って生まれた才能はそれほど影響しないんです。
結局、プロ棋士にとっていちばん大切なのは、継続する力だと思います。溢れる才能というよりも、継続力が発揮できたのがたまたま将棋だったというべきでしょうね。そうした継続力が秀才の証しだとしたら、将棋界の人は秀才ぞろいかもしれません」
この秀才と天才の違いとは何だろうか。もう一度、前出の茂木健一郎氏にご登場いただこう。茂木氏は、脳科学者の視点からこう語る。
「世間では『秀才は努力の人で、天才は努力しなくてもできる人』とみられがちですが、僕は違うと思う。『秀才は中途半端な努力しかしない人で、天才は超人的な努力をして、しかもそれを努力と思わない人』だと思います。
思うに、天才の脳はリミッターが外れているんですよ。誰でも潜在的には天才かもしれないけれど、脳機能を100%発揮しないで、70〜80%しか出せない。ところが天才と呼ばれる人たちは、リミッターが外れていて脳回路が暴走してしまう。だから、天才にとって努力は苦にならないんです」
半端な努力では秀才、努力し続けることができる「大秀才」こそが天才ということだろうか。凡人にはとても想像がつかない領域にいる大秀才たち。脳のリミッターが外れた彼らには、世界はどう見えているのだろうか。
「週刊現代」2011年9月24日・10月1日号より