2013年3月13日、チリで開催された史上最大のスーパー望遠鏡「アルマ」の開所式に参列してきた。

宇宙の解明が海抜5000メートルに建設された巨大望遠鏡「アルマ」によって大きな展開をみせようとしている(写真:ALMA<ESO/NAOJ/NRAO>、山根が星空のイメージに近くなるよう色調整をした)

 私が「アルマ」の計画を初めて知ったのは16年前、1997年8月のことだ。ハワイ島に建設中だった「すばる望遠鏡」の取材で海部宣男さん(当時・国立天文台ハワイ観測所所長、後に国立天文台長、現・国際天文学連合IAU会長)から、その壮大な夢の計画を聞いたのである。

 あまりにもわくわくする計画だったため、99年に「すばる望遠鏡」が完成したのを機に、「アルマ」計画の構想を立案し、その推進役として日米欧の国際共同プロジェクトの日本側責任者だった国立天文台の石黒正人さん(当時、計画準備室長、後に推進室長、現・国立天文台名誉教授)に長時間の取材を行い、『週刊ポスト』(小学館)で連載中だった「メタルカラーの時代」で3週にわたり記事を掲載したのである(2001年6月に掲載)。その後私は、「アルマ」実現のための政府委員も務め、また折に触れて「アルマ」の記事を書いてきただけに、その完成は待ちに待ったものだった。

石黒正人さん(現・国立天文台名誉教授)は世界を代表する電波望遠鏡のスペシャリストで、「アルマ」の実現に尽力してきた。チリのスタッフからは「神様の次に偉い人」と呼ばれていた(写真提供:石黒正人)

日米欧が総額1200億円を投じた大プロジェクト

 2012年3月、開所式を1年後に控えた現地を訪れた。

 この「アルマ」訪問には、友人であり宇宙にも造詣が深い日経BPコンサルティング社長の戸田雅博さんも同行。そして、「アルマ」の実現までには長い、そして熱い知られざる物語に満ちていることにあらためて感銘した。

 また三菱電機や富士通などの大手メーカーのほか、200社におよぶ中小のものづくり企業が開発・製造に参加してきたことから、戸田社長の勧めでその「日本力」を記録したノンフィクション作品『スーパー望遠鏡「アルマ」の創造者たち』(仮題、日経BPコンサルティング、近刊予定)の出版が決まった。

 今年3月13日の開所式は、そのノンフィクション作品に欠かせない要素になるという思いもあり、再び現地を訪れたのである。

「アルマ」の開所式は海抜2900メートルの山麓施設に設営された巨大な仮設テント内で開催。移動、配置した4台のアンテナのもと、何とも熱の満ちたセレモニーとなった(撮影:山根一眞)

 「アルマ」は日米欧が総額で約1200億円を投じた国際共同のビッグプロジェクトで、日本(東アジア)は20%の約250億円相当の仕事を分担した。各国の「アルマ」による観測利用時間は経費負担額に応じて配分されるわけではなく、実際は日本は予算比を上回る観測時間枠を獲得している。これは日本チームによる欧米との粘り強い交渉によって、「アルマ」への装置や人的資源での「貢献度」(in-kind contributions)による配分比が受け入れられた成果だった。「アルマ」の価値と同時に、そういう「日本力」も広く伝えたいという思いも強い。

 開所式は、チリ北部のアタカマ砂漠にある標高2900メートルの「アルマ山麓施設」でとり行われた。

 この地に至るには、成田から地球の反対側のチリの首都、サンチャゴまでおよそ24時間のフライトの後、国内便で2時間北上してカラマ(人口13万8000人)へ飛ぶ。カラマは、世界最大の銅の露天掘りの産業遺産がある鉱山の町だが、既にここは広大な砂漠のまっただ中だ。その砂漠の一本道を約2時間東に走ると、標高2438メートルのオアシスの町、サン・ペドロ・デ・アタカマ(人口2500人)に着く。標高2900メートルに建設された「アルマ」のバックヤード「アルマ山麓施設」は、このオアシスの町からさらにクルマで40分の場所だ。

銅鉱山の町カラマからオアシスの町、サンペドロ・デ・アタカマまでは、砂漠の中の一本道が続く(撮影:山根一眞)
下に白く見えるのが「アルマ」のバックヤードである山麓施設。全く何もない場所だ(撮影:山根一眞)
この記事は会員登録(無料)で続きをご覧いただけます
残り3745文字 / 全文文字

【申込は簡単3分!】有料会員なら…

  • 毎月約400本更新される新着記事が読み放題
  • 日経ビジネス14年分のバックナンバーも読み放題
  • 年額プランで年間7,500円お得に